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2月, 2015の投稿を表示しています

2015/02/28  うお座10度 「雲の上の飛行家」

うお座10度 「雲の上の飛行家」An aviator in the clowds. 「 かんじんなことは、目に見えないんだよ」星の王子様はそう言いました。 雲のようにつかみどころのないひとです。 生まれて老いて、いずれ朽ちゆく肉体を雲のベールでごまかして、 神話的物語のベールに隠れるように、自分のイメージの世界に遊びます。 目に見 える現実よりも、 形なきものの中に自分が見出したリアリティに価値を置く。 その姿勢は孤立をまねきますが、そのほうが心地よいと思っています。 飛行機はいずれ地に降りなくてはなりませんが、 落ちるまで飛び続けることを強硬に選ぶひともいる。 飛行機は大空を駆ける夢の様なイメージと、 着陸する地上の土は日常にまみれた現実と常識の世界。 プラスイメージとしてのうお座10度は、 イメージ力豊かなロマンチスト、マイナスだと現実逃避の夢想家というところ。

2015/02/27  うお座9度 「騎手」

うお座9度 「騎手」 A jockey. 恐れも迷いも振り切って新しい明日へと全身で飛び込んでゆく。 思い切りの良さと集中力、スピードで限界を突破します。 考えるより先に体が動くのは心が躰を動かしているから。 これだ!と感じたものに向かって走りだすその勢い、 大胆さと集中力で競争を勝ち抜く騎手は、観衆をドキドキハラハラさせます。 騎手は馬と一体になり駆けるのです。 どちらが馬でどちらが騎手か、その境界線が溶けって消え去ったとき、 予測の付かない信じられないような、なにかが起きる。 馬は野性の本能であり、騎手は理性という手綱とカンの鞭で荒ぶる馬を支配する。 個人の目的と行動が神の意図にのったとき奇跡が起きる。 この協働においては、 駆け引きや計算は役に立たないどころか失敗のもとになりそうです。

2015/02/26 うお座8度 [ラッパを吹く少女」

うお座8度 [ラッパを吹く少女」A girl blowing a bugle. 信じるものの中に自ら飛び込みその中に没入していく。 少女はラッパを吹き鳴らし大天使の降臨を人々に告げる。 ラッパの音は少女の全身に響き渡り、骨を血を肉を髪を指を振動させる。 躰を超えてひろがる天使の波動はひとびとの目覚めを促し強く鼓舞する。 しかし、大天使の意志のもとに人々のために吹き鳴らすラッパは、 彼女自身を一番強く酔わせ奮い立たせるものなのでした。 オルレアンの乙女ジャンヌが、 大天使ミカエルの声を聞きフランスを勝利に導いたのは、 ジャンヌが貧しく素朴な農家の娘であったから。 無垢な乙女の純粋な心が大きなパワーを生んだといえるかもしれません。 王の権威をしめすラッパを、純粋無欲な少女が吹きならす。 少女の献身は周囲の疲れた大人たちに大きな影響を与えたことでしょう。

2015/02/26 うお座7度 「岩の上に横たわっている十字架」

うお座7度 「岩の上に横たわっている十字架」A cross lying on rocks. 信念に従い自己を犠牲にして目的に突き進むことで、 自分自身の限界を突破して神秘的な体験をします。 戦いに敗れた兵士は自分達が頭上に頂いていた十字架が、 地に横たわるのを見た時、はじめて神の啓示を得ます。 このとき自分たちの依って立つ国の「大義」が絶対ではないことを知ります。 この世のものは何一つあてにならない確実なものなど何もないと。 そしてあらたにもっと大きな使命、本来の使命に従って生き始めるのです。 十字架はキリスト教のシンボルであり、 神聖なるものの記号として世界中で認知されています。 信仰のロザリオから身近なアクセサリーとしても広く親しまれています。 しかし、十字架は歴史を遡れば反逆者に用いられた処刑道具として、 元々はひどく恐れられていたものでもあったのです。 人間の意識というのはおもしろいものです。 イエス・キリスト以前と以後で大きく価値が転換し 今現在、十字架を見てまず最初におそろしい処刑をイメージする人は、 世界中でも少ないのではないでしょうか。

2015/02/25  うお座6度 「衣装行進している将校たち」

うお座6度 「衣装行進している将校たち」Officers on dress parade. 意義あること、個人を超えた何かおおきなことに、 奉仕的に自分を捧げることで人生に充実感を得たいと願います。 大義や正義という作られた象徴物語の中に、 自己犠牲的な自分を投げ込む奉仕的な姿を表しています。 5度の「教会のバザー」では、 宗教的な演出で本来の価値を超えた付加価値がつくことを経験し、 実態のないイメージが、そのものの価値を高めることを知りました。 人々は、ありのままのそのものを直接見ることは少なく、 そのものが纏う象徴のイメージごしに見ていることが多いもの。 そういう意味ではだれもみな、自分のイメージのなかで生きているといえるかもしれません。 軍隊の将校は国に命を捧げる神聖なる勇者として正装しています。 軍の制服に正装し行進していると次第に象徴的なイメージの世界に入ってゆき、 自分が本当の勇者の気分になってゆく。 そんなふうに自分は国に奉仕する神聖な人間だと思い込んでいくのですが、 現実的には正義という国のイメージ操作でつくられた「大義」に命を投げ出そうとしている・・・ という見方もできるのです。 それはある意味、象徴イメージに依存した姿といえるかもしれません。

2015/02/24  うお座5度 「教会のバザー」

うお座5度 「教会のバザー」A chrch bazaar. 教会のバザーには、神の加護と信仰篤い信徒の善意が集められ、 善意を形にしてそこに値段が付けられます。 神の家である教会のバザーと、個人の家庭のガレージセールは根本的に違います。 本当は違わなくても神の家という形のない付加価値がつくことで、 違うと感じさせる魔法が掛かっているのです。 ありのままの「そのもの」に、華やかなイメージを植え付けて、 演出し人々に夢や希望を与えます。 たとえば、うお座5度の「教会のバザー」の魔法がどう使われるかというと。 人々が日常に追われ、当たり前に見落としてゆく道端の野の花に、 このひとは聖人の逸話をつけて紹介します。 すると、あら不思議、今まで目の端にも掛からなかった草花が、 逆境に負けずに健気に咲く可憐な花として人々に認知されるのです。

2015/02/23  うお座4度 「狭い半島での交通混雑

うお座4度 「狭い半島での交通混雑」 Heavy traffic on a narrow isthmus. 本当に価値あるものをみんなに知らしめ広めます。 私だけが知っている楽しいこと、すごいこと、 それをみんなに教えてあげましょう! うお座4度は、村興しイベント度数とでも言いましょうか。 要するに半島とは田舎のことを意味するのですね。 限界集落に新しい風を吹き込んで活性化し若返らせます。 この狭い田舎に交通渋滞を起こすような、 一方向に人が集まるイベントを起こすのです。 都会から人を呼び寄せ世界中に広く普及させ人々に知らしめて、 狭い地域にブームを起こして停滞感を一掃するのです。 しかし、ブームはいずれ廃れて終わるもの。 そのときはまた静かに化石の森に還っていくのでしょう。

2015/02/22 うお座3度 「化石化された森」

うお座3度 「化石化された森」 Petrified forest. 土にうもれ森にまぎれた価値あるものを掘り起こし、 太陽の光のもとで語り継ぐ。 本当に価値あるものは、どんなに時間が流れても、 激しい環境の変化にさらされても、 消え去ることなくその姿をこの世にとどめる。 歴史を経て人々に語り継がれてきたものは、それだけの価値があるものだとも言えます。 時空を超えて、真に価値のある何かを見いだして、守り通すことを理想とします。 永遠に変わらない価値あるものってなんだろう? これは永遠のテーマかもしれません。 ある世界を深めておさめたひとは、 あとからやってくる者たちを、正しく導くという責任を負うのです。 それは仕事として誰かに強制されるわけではなく、自然のなりゆきdえ宇宙的な法則として、 なるべくしてそうなってゆくのです。 教えることは教えられること、子供は親の背中を見て育ち、 親もまた負うた子に教えられて瀬を渡るのであります。

2015/02/21 うお座2度 「ハンターから隠れているリス」

うお座2度 「ハンターから隠れているリス」 A squirrel hiding from hunters. 臆病なリスは用心深くハンターの目を欺きます。 ハンターの目を避け、気づかれないよう隠れ家で気配を殺す。 小さく弱く小心なリスは、すぐれた防衛本能と危機管理能力で、 注意深く、とても上手に「お宝」を隠します。 大切なものを傷つけられないように、壊されないように、 しっかりと守らなくてなりません。 弱さには弱さが生む大きな知恵がある。 でも、その警戒心と守る意識の強さが、逆にハンターを引き寄せてしまうこともある。 盲点は思わぬところに潜んでいますよ、ご用心! 市場で多くの人の目に晒されて見比べられるモノたちと、 自分の大事なモノたちを同列に置くことに抵抗を覚えます。 大事なものが他者の目で穢されることをおそれます。 そして、用心深く念入りに隠し過ぎて、隠した場所を忘れてしまうことも、 あったりするかもしれません。 森の小さな住人であるリスたちは、 秋の間に木の実を土に埋めて冬に備えて蓄える習性があります。 蓄えた食料をちょっとづつ小出しに大事に食べるのですが、 秘密の隠し場所を忘れちゃって右往左往するおバカちゃんもいるんだそうな。 そうして、掘り返されないままの木の実があちらこちらで芽を出して、 リスたちのまいた宝の種があらたな生命となり、森の命は循環してゆく。 自然の森の循環構造。

2015/02/20 うお座1度 「公共の市場」

うお座1度 「公共の市場」 A public market. ようこそ、いらっしゃいませ! ここはなんでもありのこのるつぼのカオス、 ありとあらゆる物がを取り揃えました公共の市場です! あなたさまのお望みはなんですか? 美しいものから醜いものまで、だれもがほしがるこんなものやら、 誰も欲しがらないあんなものなど、市場にはあらゆるものの本物から偽物まで! なんでも同時同列にて、 なんの区別も差別も分類もなしに並んでおりますよ~♪ さあさあ、ごらんあれ! ここは12サインの総仕上げ、魚座の闇鍋市場。 なんでも欲しいものが揃います。しかし、 あなたが手にしたものが、価値あるものか無価値なものかの判断は、あなた自身がなさいませ。 価値観はその時々で変わります。 個人や地域で、 人種や性別や考え方で、 はたまた時代の変化で180度の変わり身をしてみせまする。 なにが善でなにが悪か? それは本物なのか、それとも偽物なのか? 一体全体どっちがどっちなの?損して徳取れ、負けるが勝ちよ、ミイラ取りがミイラになって、 結局終わってみれば同じ穴のムジナ、善も悪も損も得も、どちらもそう変わりがなかったと、 最期にはわかるのですが・・・まあ、それはそれ。 いまは混みあう市場の雑踏にもまれるひとときを、楽しもうではありませんか!

2015/02/19 みずがめ座30度 「アーダスの咲いている野原 (マリーコレリの書いた古代バビロンの神秘的な牧場)」

みずがめ座30度 「アーダスの咲いている野原 (マリーコレリの書いた古代バビロンの神秘的な牧場)」 The field of Ardath in bloom. 古代バビロンのアーダスの花園は全ての人類の故郷。 誰もがそこを通ってこの世に生まれ、 いつかかならずかえってゆくところ。 そこは、この世のものがすべての意味を失うところ。 そこはバビロンの花園。 あなたとわたし、彼と彼女、うまれた場所の違いや性別という、 個人の区別と多様性のすべて溶かし、自他の境界線も溶かして、 すべてがひとつになるところへとわたしを誘う。 身体を超えて時間を超えて、人間が最後に至る究極の悟りの境地をめざす。 わたしがわたしが、俺が俺がという自我を超え、 すべてを手放した時、本当の自分に出会う。 それは自分を超えて全てになることでもあるのでしょう。

2015/02/18 みずがめ座29度 「さなぎから出てくる蝶」

みずがめ座29度 「さなぎから出てくる蝶」A butterfly emerging from a chrysalis. さなぎと蝶はまったく別の生物に見えます。 たとえるならそれは、 とても小さな蕾から大輪のバラが花開くような、 目の覚めるような、艶やかな変化です。 誰にも邪魔されることなく、ひとり繭にひきこもり、 自分の世界を練り上げて完成させます。 だれも見ることのできない蛹の中では、 一度すべての要素がどろどろに融合し、再結合されるという、 それは全ての命の故郷、生命の混沌の、統合であり根源であるうお座の世界です。 さなぎのなかでは神秘的な変容のプロセスが進行しています。 誰の助けを求めることなく変容は進みます。 周囲から切り離されて、ひとりきりの誰とも共有しない空間と、 孤独に浸り考えを深める誰とも共有し得ない時間が、 自分が本来あるべき姿を目覚めさせ、真の自由と情緒を育てるのかもしれません。

2015/02/17 みずがめ座28度 「倒されのこぎりで切られた木」

みずがめ座28度 「倒されのこぎりで切られた木」A tree felled and sawed. これまで自分を助けてくれた土壌から独り立ちして、 自分の力で自分の人生を切り開こうと、環境を飛び出します。 その姿は、自分を育てた森から切り話されて、外の世界で資材となって、 役立てられる木のように寂しげに見え、孤立した孤独な姿をしています。 しかし、木は故郷の仲間からは遠く離れても自分の一部である根は永遠に森にある。 どんなに孤独な戦いの中にいても、 本当に必要なときには見えない援助の手がかならず差し伸べられる。 そのように戦うとき、木が木として存在する限りにおいて、 根は木々をつなぐネットワークとして空間を超えて働きます。 のこぎりは切り離す、切り分ける、知性の働きですが、 ギザギザとがった粗い刃先はいくぶん暴力的な強制力を思わせる。 あたたかい愛情と信頼から切り離されてひとりになる、 それはのこぎりによって切り離されて・・ ここに、感じるものは、単なる自立から自律へ向けての覚悟と勇気です。 そこに至るには抗えない強制力が働くような、そんな気がします。

2015/02/16 みずがめ座27度 「スミレで満たされた古代の陶器」

みずがめ座27度 「スミレで満たされた古代の陶器」  An ancient pottery bowl filled with violets. 野に咲くスミレのみずみずしい美と、古代の陶器の伝統の美。 繊細さとゆるぎのなさとの対比が、自己を主張し合い張り合うのではない、 ナチュラルさで違いの美を引き立て合う。 人間的な感情のリアルさから距離を起き、客観的な自己表現を好みます。 感情的なものは一時的なもので、それ自体にあまり意味は無いとばかりに、 自分の気持ちであっても他人ごとのように冷静に客観的な視点で伝えようとつとめる。 より普遍的なものに基準を求め、人間的であることよりも、人間性の高さに視座を置く。 遺跡の中から発掘される古代の陶器のように、 何百年何万年の時を経ても変わらない美は、 人の感情を超えたところに存在するものなのかもしれません。 この陶器のような伝統の中に生き続ける普遍的な美を尊び、 その中に摘みたてのスミレの花のようなひとの心を満たす。 普遍性と刹那を生きて泡のように消えてゆくひとの個人性を対比させる。

2015/02/15 みずがめ座26度 「水圧計」

みずがめ座26度 「水圧計」A hydrometer. 考えること、感じること、 いままで身につけてきたことを総動員して世界を認識する。 そして、あらゆる危険を事前に回避し周囲に役立てようとします。 瞬間のひらめき、 五感での体感、 そして、 正しく自分の頭で考えること、 見えることと見えないことの、そのどちらにかたよることなく、 理性と知性と感情をバランスよく使い注意深く世界を観測する。 正しく物事を見るためには、見えるものをありのままに見る力と、 見えないものを感じ取る力の両方を併せ持つ必要があります。 なにかわからないけどひっかかる、 言葉にはならないけど違和感を感じる、 その微妙なズレの隙間から本質はいつも見え隠れ、 そんなささいな変化を見逃さずにしっかり観察していくこと、 客観と直観のバランスが最大の危機管理につながります。

はじめに。サビアンシンボル絵本プロジェクト。

2014/12/30「サビアンシンボル絵本サビはん」第二弾☆しし座の本 立ち読みできます。 『 サビアンシンボル絵本☆しし座サビはん 』 河童☆吉田結妃著 西洋占星術のサビアンシンボルを、象徴世界として消しゴム版画の絵本で 表現しました。 抽象度の高い世界の理解のおともに☆印象的なビジュアルの吉田結妃さんの消しゴム版画に、河童の素朴でシンプルな文章をのせました。 ☆ご感想をブログに書いていただきました。 http://liliadon.blog.fc2.com/blog-entry-38.html http://yaplog.jp/shikinemo/archive/279                           *・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*  *☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. 2014年4月18日、「サビアンシンボル絵本☆サビはんおうし座」を自己出版しました。 『 サビアンシンボル絵本 サビはん☆おうし座 』 寂杏瑚河童♡吉田結妃著 この本は出版したあとも実はひそかに成長しています。不定期に修正、更新されております。 2014年8月13日22時41分追記。 ご訪問ありがとうございます。 このブログについて説明させていただきます。 わたしは自分のためのサビアンシンボル辞典をつくるため、 毎日の太陽のサインの度数をサビアンを種に読む試みを続けています。 今後、継続して違う視点での考察、数字や図形としての考察もしていきたいと思っています。 当ブログにおいてサビアンシンボルの文章はオリジナルであり、 文献から引用文を掲載する場合は出典名・著者名・ページ数など明記しております。西洋占星術やサビアンシンボルの象徴の世界に興味を持ってくださる方が読んで、楽しんでくださると嬉しいです。 参考文献 「決定版!サビアン占星術」 「完全マスター 西洋占星術」 「ディグリー占星術」 「ヘリオセントリック占星術」松村潔 「定本サビアン占星術」直居あきら 「サビアンで読み解く運命占星術」リンダ・ヒル(鏡リュウジ) 「占星学教室サビアン大辞典」岡庭加奈 「神話のイメージ」 「時を超える神話」  「千の顔を持つ英雄(上)(下)」ジョーゼ

2015/02/14  みずがめ座25度 「右の羽がより完全に形成されている蝶」

みずがめ座25度 「右の羽がより完全に形成されている蝶」 A butterfly with the right wing more perfectly formed. 心の奥深く、自己の根底に根ざした理性のコントロール方法を、 見つけることに関心を持ちます。 感情を抑制し、理性的に振る舞う練習を自然体で行っていくことができる。 その中でやがて、普通ではふれることさえできない、 人生の制御システムのようなものに近づき、自分の人生と他者の人生にも、 大きく変化を与える人になっていきます。 蝶は人のたましいによくたとえられます。 さなぎのなかに拘束されて成長したあと羽を得て、空中を舞う自由を得る蝶。 この変容の過程は神秘的で人智を超えた働きを感じさせます。 右側の羽をより確実に形成させ明らかにさせるということは、 未来に光を与えることでもあります。 右は陽であり未来 左は陰であり過去、 右は男性性であり論理、解釈者。 左は女性性であり感情、知覚者。 蝶の羽根は風にのり、宙を舞い飛翔する・・・想像力の、イメージの羽根。 未来ビジョンに向かって羽根を伸ばし風に乗り羽ばたく。

2015/02/13  みずがめ座24度[情熱に背を向け自分の経験により教えている男」

みずがめ座24度[情熱に背を向け自分の経験により教えている男」 A man turning his back on his passions and teaching from his experience. 一時的な情熱に動かされるのでなく、冷静に自分の得た経験から判断をします。 過去の体験を糧にして、今、他者の役に立つことを教えることができるのです。 男は過去に、衝動的に情熱のおもむくまま行動し、痛い目に遭ったこともあったのです。 そして、男は経験から多くを学んだ。経験に勝るものはないということを知ってる。 一般的に、だれかを情熱家と呼ぶ時、それは褒め言葉であることがほとんどです。 情熱は若さの証明であり素晴らしいものだと誰もが認めます。 しかし実際、情熱・情動・情緒・気分・情操、 そういったものには、良いも悪いもないのです。 情熱が物事を動かすこともあるのと同じく、熱くなって衝動的な言動へ走らせ、 物事を無駄にこじらせることもあるのです。 バランスが重要です、そのことをこのひとはよく知っています。

2015/02/12 みずがめ座23度 「座ってすべての手足を振っている大きな熊」

みずがめ座23度 「座ってすべての手足を振っている大きな熊」 A big bear sitting down and waving all its paws. 柔らかい土の中に座って熊が冬ごもりしています。 躰は座ったままで手足を振っている。 くらくて居心地のいいすみかで安心して眠り、夢を見ている。 手足を動かしているのは、歩いて走ってこけつまろびつ、子供に還り、 お母さん熊と草の上を駆けて遊んでいるのかも、 それとも、ウマソウな鮭が大漁なのかもしれません。 それともあまい甘い森のはちみつを味わう夢かも・・ 豊かな夢の森と川に遊び、ふたたびくる暖かい太陽の輝く春を待つ、 眠れる熊は今とても幸せ。 あらたな力をつけて、今目覚めた熊は、 すべての手足を振って、これからなにを始めるのでしょう? 躰を静かに休ませることで、精神の活動が活発になり、 内面の広がりを感じることができるということがあります。 感動を表現するときに「胸がいっぱいで言葉になりません」 というような言葉もよく聞きますが、言葉で飾ったり繕ったりするのでなく、 静かに躰を使い心身を整える方が、本来の自分を取り戻す近道になりそうです。 大きな熊は、座っていても大きな力を秘めている。

2015/02/11  みずがめ座22度 「子供たちが遊ぶために床にひかれた布」

みずがめ座22度 「子供たちが遊ぶために床にひかれた布」A rug placed on the floor for children to play. 遊んでいる子供が寒くないように、怪我をしないようにという、 大人の思いやりとはからいで、硬い床に柔らかな布を敷くように、 傷ついた自分の中の幼子心をいたわりいつくしむ。 自分自身の内なる子供を自由に遊ばせる。 いままで理想のためにがんばりすぎて疲れてしまいました。 目的のためにと心の声を押し殺し、ないがしろにしてきてしまった。 そんな自分自身の感情を解放する時です。 根本から自分を癒やすことを考える。 自分の履歴を振り返り、子供時代の傷ついた体験を発掘します。 内なる子供を癒やす必要を感じて、セラピーを受けるひともいるかもしれません。 そしてさらには、同じような傷ついた体験を持つ人の力になろうと、 セラピストや教師としての活動を選択することもあるかもしれません。 子供たちは、新しい可能性、これから発展し、花開いてゆく可能性。 遊びはクリエイティブな発想、 これから手がける新たな仕事やプロジェクトかもしれません。 床に敷かれた布は、 そんな新しい可能性を保護して応援し支えてくる存在を示しています。

2015/02/10 みずがめ座21度 「絶望し幻滅した女」

みずがめ座21度 「絶望し幻滅した女」 A woman disappointed and disillusioned. 一人の人間としての幸せよりも全体の幸せを選ぶ。 全体性の中で個を殺すことにより全体を生かす。 自我を超えて全体に自分自身を捧げることが、 生まれた時に持っていた、本来の自分輝きを蘇らせる。 絶望し幻滅した女というのは、 ひとりの女性としてのしあわせを置き去りにして、 理想のために無理をする姿をあらわしています。 目的のために個人的なたのしみを捨て、理性的に行動することを自分に課していく。 しかし、自分の意にそぐわない目的に尽くすことはしません。 自分が納得できる目的を実現させるためには、 自己を犠牲にすることをいとわない、そういう強い意志を持っている。 タロットカードのソードの8が、この度数に似ています。 目隠しをし縛られている女性は誰によって何によっ縛られているのか。 女性を縛るのは実は自分自身の思い、自分の思考、 自分の理想に縛られて思考が柔軟性を失い、自分で自分を動けなくしている。 表情からは本当は自分でもちょっとそのことがわかってるようにも感じられます。 目隠しをしているのは自分の内面と対話しているようでもあり、 耳を澄ませて風向きを読んでいるようでもあります。 服も赤くて内面的には充実感もありそうだし、足元には動きもあり水たまりがある。 背後にも湖とお城が見える。水は感情をあらわしているので、 心理的には鬱陶しさはあれ、それほど殺伐とした背景はなさそう。 状況は厳しいけれど、それは自分があえて選んだものであることを物語っています。 このおはなしは無理をしてがんばっている私の物語。 ということは、自分の気持ち次第で拘束から逃れることも出来るということです。

2015/02/09 みずがめ座20度 「大きな白い鳩、メッセージの担い手」

みずがめ座20度 「大きな白い鳩、メッセージの担い手」  A large white dove, a message bearer. 直感が確信に変わりるときです。 天啓のごとき力強いメッセージが自分の内からやってきて、 自分の未来を指ししめす。 背景に深く大きなドラマを感じさせるシンボルです。 世界に対して開かれた姿勢でいると、 必要なときに必要なだけの助けが得られるのです。 あなたの求めに応じてメッセージが目のまえに落ちてくる。 何気なく開いた本のページから、 目の前に舞い落ちた一枚の羽根から、 答えは何気なく目にする日常の風景のそこここに、 姿をかえてちりばめられている。 正しい問いを発するときだけに正しい答えが得られます。 いつでもどんなときにも常に正しい人間はいません。 ここでいう正しさとはなにか? それは偏見を持たず、ありのままを見るという姿勢、 開かれた心で生きることでしか得られないもの。 問いの中にすでに答えはあるともいえるでしょう。

2015/02/08 みずがめ座19度 「消しとめられた山火事」

みずがめ座19度 「消しとめられた山火事」A forest fire quenched. 情熱を理性でコントロールする。 火事は対向サインのしし座のニュアンスが強いです。 水がめは風なので火を煽って拡げて燃え上がらせるほうですが、 ここでは、消し止めるということで、制御する、 火をコントロールする意味に重点が置かれてる。 力の制御は、理性的な判断と確かな技術、 そしてなにより勇気ある行動によって行われる。 出来事をありのままに受けとり、臨機応変に対応していく。 トラブルやアクシデントに、過去の経験からパターン化した対処をするのではなく、 ケースバイケースで現実的な判断をして、解決に導いていきます。 ちいさな火だと侮っていると、気がついた時にはあっという間に 山全体に燃え広がって膨大な資源が焼失してしまいました・・ そんなふうに山火事とは怖いものです。 自然の脅威を相手に人間の作ったマニュアルは意味を失います。 森の火事は悲惨なだけかというと、そうでもなくて、 落雷など自然発火から起こることも多くあるそうです。 火の力は絶大で犠牲も多く伴いますが、ある意味火による浄化作用という面もあり、 ホメオスタシスが働いて生態系を整え元の健康な状態に戻す、 そんな役割も果たすといいます。 トラブルの解決に自ら問題の中に飛び込み、 しっかりと現実に向きあうとき、知識の鎧で防御して、 頭でっかちになっていた自分自身の思考のムダが削ぎ落とされる。

2015/02/07 みずがめ座18度 「仮面がはがされた男」

みずがめ座18度 「仮面がはがされた男」 A man unmasked. 自分が隠しもっていた「秘密」を、身近な他者に暴露されるような体験をします。 あるいは、自ら自分の資産や個人情報を思い切りよく開放するひともいそうです。 自らによってか、他者によってか? いずれにせよ、 いままでためにためてきたもの、 蓄積したものを手放すとき。解放のサイクル。 この解放のサイクルのリズムに乗るのです。 この流れに抵抗すると、強制的に剥ぎ取られることになる。 他者にむりやり奪われるような出来事に遭遇して、 喪失体験から失望を味わうことになってしまいそうです。 聡明なみずがめ座がその気になれば、 隠し通し持ち続けることができたはずの仮面の下の「秘密」です。 それが暴露されてしまうのは、自分自身が合意してそれを許しているから。 みずがめ座本来の自由を取り戻すプロセスとして、これが自然な流れであり、 解放の衝動ともいうべき「風」の本質によるものだから。 そして、 「暴露」の失意の後には清々しい開放感がやってきます。 仮面がはがされたあと、素顔に感じる風は涼しく心地良いことにすぐに気づくでしょう。 仮面は惑星でいうならば「太陽」といえそうです。 太陽は、なりたい自分。 自分はこういう人間だと誇ることができる。 そういうふうに周囲から見られたい理想の顔。 がんばって目指すところの理想の自分の姿。 外に向けた自分の顔です。 その「仮面」をはがされて、外に向けて素顔をさらす、 それはどういうことを意味するのか? ゴシップによって、自分でも気づいていなかった、 自分自身の本当の望みに気づくのかもしれないし、 ありのままの自分の素晴らしさに気づく、ということかもしれません。 それは、もしかしたら、 それまでの仮面の自分よりも、ずっと清々しく気持ちのいい自分かもしれません。

2015/02/06  みずがめ座17度 「ガードをしている番犬」

みずがめ座17度 「ガードをしている番犬」 A watchdog standing guard. 犬は境界に目を光らせて、 自分の領域を侵犯するものに吠えかかり警告します。 犬は古くからの人間の友と言われています。 主人の大切ななにかを外敵から守る忠実な犬。 守るべきものがあるところに番犬は置かれますが、 さて、番犬は一体何を守っているのでしょうか? 主人に誠実に尽くす、縄張り意識の強い犬ですが、 縄張りを主張することは自分の限界を宣言していることでもあるのです。 よく吠える犬は弱いというのは一面の真実を告げてはいますが、 吠えている犬が危険であることもまた事実です。 社会においての立場を維持しようと守りに入ると、 大なり小なり、個人の自由、個人の領分は侵害されてしまいます。 反対に、力を持った個人が弱者の複自由を侵すこともある。 自分自身の境界が侵犯されたことによるメリットは、 それを基準にして危機管理ができるようになることといえるでしょう。 新しい基準でもって、今現在もっとも最適な境界線を、 新たに引き直すための材料にできるということです。 死んだ主人の墓から動こうとしない犬や、 死んだ仲間や子犬に寄り添って離れない犬の姿に、 人間は心を打たれ涙します。 そうした犬の忠誠や愛情は美しいものですが、 それは同時に愚かでもあります。 人間は、その愚かで純粋な姿に人間が失った美を見るのかもしれません。

2015/02/05 みずがめ座16度 「机に座っている偉大なビジネスマン」

みずがめ座16度 「机に座っている偉大なビジネスマン」  A big businessman at his desk. ビジネスマンはあたたかいオフィスの机に座り、 人々を扇動し人々を巻き込む作戦を練りあげるのです。 壮大なビジョンを地上に実現化しようと試みる。 そのためのネットワークを作り上げていきます。 大きすぎる理想は、人々の理解を得にくいものですが、 それににもかかわらず、ビジネスマンは周囲の協力をあつめ牽引する、 見えない独自の力をもっているのです。 それは、このビジネスがただのビジネスではなく、 新しい理想の実現のために進められるべきものであると、 周囲に感じさせ、納得させるなにかをこのひとがもっているからです。 それは、自ら夢を見て、それを人々と共有し、共に夢を見させる力なのです。 大局を見るとき人は、細部を見落としてしまう。 理想の実現に気を取られすぎるとき、このひとの心の動きからは、 人間らしい個人的な感情が離れていく。 遠くのだれかや他人にみせる配慮が、 身近な周囲の人には足りなくなる傾向があるかも・・・ 遠くを見たら、足元も見なくてはなりません。 視点を変えることも、ビジネスには必要な要素でしょう。

2015/02/04 みずがめ座15度 「フェンスの上にとまっている2羽のラブバード」

みずがめ座15度 「フェンスの上にとまっている2羽のラブバード」  Two lovebirds sitting on a fence. フェンスの上から高みの見物。 フェンスの上に座って足をぶらぶら、 さて、どうしたものか、 AかBかどっちにしようか決めかねる・・。 フェンスはAとB、内と外の境界にあって内と外を区切るもの。 高い視点でなければ手に入らない大きなビジョンがあるのです。 ひろく全体を見ることで増える選択肢があります。 日常の細々としたことからは手を引き、まず全体像をつかみとる。 全体を見ることで、細部と細部のつながりを知り、 細部から全体へと明け渡される完成図をはじめて知ることができます。 全体像を知るひとの周りには、自然と協力する人の輪ができてゆく。 恒星の周りを惑星が取り囲むように、細かいルールや距離を超えたネットワークが構成される。 垣根を越え町を越え、国境を越えて空を行き交う鳥のように、人と人、天と人をつなぐもの。 ラブバードが歌うのは愛の歌。 親愛あふれたコミュニケーションが活発なラブバードは、 愛し愛されることに天性の恵まれた才能を発揮する。 フェンスの上のひとくみのラブバードは愛の幸福の象徴です。

2015/02/03 みずがめ座14度 「トンネルに入る列車

みずがめ座14度 「トンネルに入る列車」A train entering a tunnel. 渋滞した道路でも抜け道や近道を知っていると、 渋滞でイライラしてる人を尻目に涼しい顔で素早く目的地につけるし、 走行距離が短縮された分時間の余裕ができて、気持ちにもゆとりが生まれます。 通り道に山があると登って越えるかぐるっと迂回することになりますが、 トンネルをぶちぬいてしまえば、最短ルートができあがります。 トンネルを走るのがバスや電車なら、たくさんのひとを一度に運べます。 効率的で合理的です。 システムを構築することで、最短の距離で目的を果たす。 しかも、スムーズにスマートに。 トンネルはブラックボックスなのかもしれません。 トンネルの向こうにある理想の国に抜けたひとは一様に言うのです。 なぜだかわからないけど成功していた。 わたしは運が良かったんです。 (ホントは頭も使ったし、努力もしたけどね!(・ω<)) Near Death Experience 臨死体験の体験談などにはよく、暗いトンネルのあとに光と遭遇するとあります。 出産の時の産道の体験と似ているのではないかと思ったりもします。 個人的には産道体験は記憶に無いので想像ですが「死」を「お迎え」と言うことも、 なにかトンネルの向こうから、生まれるとき送り出してくれたなにかかだれかが、 死ぬ時にまた迎えに来てくれるようなイメージ(妄想)でいます。 ゆえにわたしはこの度数は究極の創造の度数という理解でいます。

2015/02/02 みずがめ座13度 「バロメーター」

みずがめ座13度 「バロメーター」 A barometer. 台風が来る前のドキドキ感とか、雨がふる前の頭重感だとか、 理由もないのにそわそわしたり、気持ちがざわっと波だったり、 そういうことが、感受性の強いひとや、柔軟な子供時代にはあったりします。 それはだいたい気候の変わり目にありがちなことなのですが、 敏感なセンサーを使って、 目に見えない透明な何かを、形のない空気のような何かを、 読み取って反応しているのです。 天気読み。見えない空気のようなものから兆候を読み取るチカラ。 冷静に観察力を働かせて、 周囲の環境や、人々の反応から、 世界の変化を敏感に受け取り、状況を読み取ります。 時代の先を行くひとです。 客観的な観察力がモノを言う。 文化や世相や流行のサイクルを掴みその先をいく。 それが当たり前だとされている常識や、 既成の概念に縛られることなく、 俺は簡単にはだまされないぞ!と、目を光らせています。 自分の頭で考えて、 しかし開かれた態度でものごとを判断してゆく、 世界に対する自然体のその姿は、自信と強さのあらわれ。 人の話や新聞やテレビに頼らずとも自分の視点で世の中の風を感じ 自分の好き嫌いに左右されるのではなく、独自の基準で判断していきます。 Wikiバロメーター

2015/02/01  みずがめ座12度 「上へと順に並ぶ階段の上の人々」

みずがめ座12度 「上へと順に並ぶ階段の上の人々」People on stairs graduated upward. この階段は意識の階層をあらわしている。 上から下へ、下から上へ、人は上昇し進化もするかわり、 上昇することに固執することで、退化し下降してしまうということがある。 どの段階に並ぶかは、 そのひとの動機とそれにもとづく行動の結果であり、 自分で選んでいるようでいて、結果は自分では選べないもの。 しかし、自ら望まずに上昇することもありません。 なぜなら、 階段は自分の足を動かして登るものだからです。 そして、並ぶ人々の姿を見るものは、階段の全体像が見える場所、 階段の外側の観客席に存在しているのです。 (はて、それは誰なんだい?) 冷静な観察力で、内面を見ぬくことができるひとです。 人の優劣は見た目では決められないとし、本質的な価値を求めます。 平等主義のように見えますが、 地上的な俗っぽさを軽蔑するような偏りも見受けられます。 自分流のこだわり自分独自の哲学でもって、密かに人の価値を計りランクをつける。 この写真は、今から30年も前の1982年に、広告批評という雑誌のグラピアの6月号に掲載されたものだそうです。 わたしは断然こっちの大階段を支持します(人´∀`).☆.。.:*・゚