スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

11月, 2014の投稿を表示しています

2014/11/30 いて座8度 「 岩やその内部で形成されているもの」

いて座8度 「 岩やその内部で形成されているもの」Rocks and things forming therein. 地球の胎内の奥深く、新しい生命が誕生を待つ。様々な要素を溶解させて 変容の火が生命を錬成する。 地殻の変動、大地の中で起きる変化は、 地表からは見えることはありません。 変化は人知れず進行し、やがて地上に大きな衝撃を与えます。 変化のさなかにあるときは、まだ形がさだまらず、全体像を把握して見ることはできないけれど、 目には見えないし触れないけれど「気配」や「予感」という兆しは、どんなときも感じ取ることができるもの。 変化の不安で固く握りしめた両手を放して、流れにまかせることで衝撃を緩和する。 運命を信じてしがみついたものから手を離す、 それは大変な勇気と覚悟の要ることですが、そうするしかないときがあるのです。

2014/11/29 いて座7度 「 ドアをノックするキューピッド」

いて座7度 「 ドアをノックするキューピッド」 Cupid knocking at the door. いたずらなキューピッドがそそのかす。ルールに則ったフェアプレイなんかおおしろくないね!そこには 新しさも発展性もないだろう?もっと自由に生きてみたらいいじゃない?そのほうが人生は百倍面白い! 正々堂々の正面勝負もいいけれど、ひとりひそかにルールを破り抜け駆けしたい誘惑に駆られてしまう。 仲間を裏切り新しい体験に飛び込むことに、うしろめたさと興奮を感じつつも、スリルを楽しむ。内奥から湧いてくる 衝動を抑えきれない。内なる声のちいさいけれど確かな意志の響きに従う。直感的に行動することで新しい未来を創造する。

2014/11/28 いて座6度 「 クリケットゲーム」

いて座6度 「 クリケットゲーム」A game of cricket. 周囲を盛り上げて人を巻き込んでみんなと楽しみたい! という射手座特有の火の衝動が沸き立つ競技場。 クリケットゲームはイギリス発祥とされる紳士のゲーム。 正々堂々、公明正大、ルール厳守で戦うことに、紳士は意義を見出します。 好戦的ですがフェアプレイ精神にのっとって戦い、 相手にも公明正大さを要求します。 勝ち負けそれ自体より、仲間や対戦相手ともども競い合い、 高め合い理解し合うことに意義を求める、男の世界。

2014/11/27  いて座5度 「木の高いところにいる老いたフクロウ」

いて座5度 「木の高いところにいる老いたフクロウ」 An old owl up in a tree. 夜は月の下、木とともに生きてきたフクロウは、老いて疲れた分だけ見えないものを見る。 ものみな眠る夜に目覚める夜の女神の月の使い。 表舞台で活躍することよりも、人々の心の見えない部分に働きかけて、 それと気づかれることなく扇動し、裏からひとびとを操る策士のような。 木の高いところから全体を見通す。すべてが 眠りに沈む闇夜に活動する。 俯瞰、鳥瞰、 上から見下ろす地上の光景は、地上の者には想像もできない広がりを持っている。 根回し、裏工作、無意識の夢の領域に働きかける。 History  Is Made at Night.

2014/11/26 いて座4度 「歩くことを学んでいる小さな子供」

いて座4度 「歩くことを学んでいる小さな子供」 A little child learning to walk. お母さんが小さな子供に勇気づけられるように、 経験を重ねた教師が、未熟な生徒に教えられるように、 人に教えることで教えられ、助けることで助けられ、救われ癒される。 何度もつまづき転びながら、子供は立ち上がり、歩くことを覚えていきます。 転んで痛かったから、もうめんどくさいからって、歩くのを途中であきらめて、 他の手段を選ぶ子供もいるかというと、そんなことはまあないのです。 自らの足で立って歩くこと、 それは視座を高く保つこと、新しい地平を目の端に捉えること。 初めて立った瞬間目に入った光景を、 そのインパクトを、その時の驚きと感動を、子供は心に刻んで、決して忘れない。 その記憶が、この子の将来を支え続けていくのです。 転んでも自分の力で立ち上がり、そして自分の足で歩き出す 。 生真面目さと前向きさ。

2014/11/25  いて座3度 「チェスをする2人の男」

いて座3度 「チェスをする2人の男」Two men playing chess. 鏡の国のアリスではチェスのルールにそって物語が進みました。 ルールのもとで対戦相手と向かい合うフェアプレイが基本姿勢です。 頭を使い、先を読んで計算をして作戦を練り、 その計画にそってことを運びます。 そしてさらに、対戦相手の出方に合わせ、臨機応変に柔軟に戦いをすすめる。 どんな変化にも対応していける 2度の気持ちの盛り上がりと興奮を、自分で意識的につくろうとします。 知的な興奮のスイッチ。自分で自分を煽り気持ちを盛り上げていく。

2014/11/24 いて座2度 「白い波の帽子に覆われた大洋」

:::::::: いて座2度 「白い波の帽子に覆われた大洋」The ocean covered with whitecaps. 寄せては返す波は人の心のリズム、感情のエネルギーのようです。 変化する感情の波のリズム、臨場感と躍動感のなかに生きることで大きな活力を得る。 ひとりのひとりの想いがひとつにまとまり、 ひとつの生きたエネルギーと化した時の爆発力。 それはまるで巨大なうねる波のように盛り上がり、激しく波うち、やがて岩をも砕く力を発揮するのです。

2014/11/23 いて座1度 「共和主義の威厳ある軍隊[退役軍人の会]のキャンプファイヤー」

いて座1度 「共和主義の威厳ある軍隊[退役軍人の会]のキャンプファイヤー」 Grand army of the Republic campfire. いて座の初期はとくに単純。 火のサインの始まりは無邪気な小学生男子のようでもあります。 さそり座の愛情への集中から解き放たれて、 いて座では互いの自由と独立を尊重した関係を築こうとする。 軍隊はある種の共同体ですが、さそり座的な心情的な繋がりというよりも、 互いに競い合い切磋琢磨し向上していく、活発な体育会系的なノリになる。 余り複雑な思考を必要としない直感的あるいは体感型のスポーツ、 格闘技や対戦型の競技に関わってくることもあります。

2014/11/22  さそり座30度 「ハロウィンのわるふざけ」

 さそり座30度 「ハロウィンのわるふざけ」The Halloween jester. ウケ狙いの仮装大会、笑わせたもん勝ちみたいなイベントだ。 29度の深刻な腐れ縁。 そこから脱出をしようと試行錯誤の堂々巡りで疲弊した女を、 馬鹿騒ぎのわるふざけが解放させる。 うふふ、あはは・・・アハハハ!わーはっはっはー! さそり座の完成は涙を笑いで吹き飛ばすのだ! さそり座的小集団のローカルな縛りにより生まれる閉塞感とか、 ある種カルト的な束縛と拘束をかもして、洗脳を思わせるなぁ・・・。 そこから抜けるためには思考ではなく行動がものをいう。

2014/11/21  さそり座29度 「酋長に自分の子供たちの命ごいをするインディアンの女」

 さそり座29度 「酋長に自分の子供たちの命ごいをするインディアンの女」  An Indian squaw pleading to the chief for the lives of her children. なじみある古い共同体から新天地へと出てゆこうしたインディアンは、 同胞から激しい反対に遭い足止めをくらいます。 これは話し合って解決できる問題ではありません。 いったいどうすればいいのだろう・・ 考えが堂々巡り、ずるずると問題の先送りで時ばかりがすぎる。 これから伸びていこうとする私の子供達を、 広い世界へと羽ばたかせてあげたい! 私の子どもたちを狭い世界に閉じ込めて殺さないで! その願いは叶えることができるのか? 同胞の抵抗に屈して子どもたちの将来もあきらめてしまうのか? その優しさと包容力ゆえに人からふみこまれ損をする。 けじめがつけられず腐れ縁を断ち切ることができなくて、 外目にはたよりない人に見られがちですが、 実は誰よりも愛情深く底力をもった芯の強いひとです。 女性は受容性と生み出す力。 子供たちとは新しく芽生えた創造性。 この子は文字通りの自分の子供であることもあるでしょうし、 自分が作った作品や、自分が起ち上げた会社ということもあるかも。 いずれにせよ、 子供を育てるには長い時間がかかります。 急いで良い結果がえられることはなさそうです。

2014/11/20  さそり座28度 「自分の領土に近づく妖精たちの王」

 さそり座28度 「自分の領土に近づく妖精たちの王」  The king of the fairies approaching his domain. 妖精の王は妖精の住まうファンタジーの領域にいてこそ権威を保てます。 わたしたちは誰もが、こころに妖精の国をもっているものです。それは外部からの誰の侵害も許さない聖域とも呼べるもの。 他者と出会い互いに足りないものを補いあい、互いが一体化することで変容起こすという、さそり座の本来の目的を達成したあと、28度では次のいて座の飛躍を目の端に捉え、整理のためにひととの関わりを一旦抜け出てひとりきりになりたくなります。ものにも他者にも自分の外部のなにかにも依存することなく、一人の人間として、ありのままの自分自身として心の安定と充足感を得る。そのためにひとりきりの世界に浸る。のんびりと自分のペースを見出されないようにして、見えないこころの世界を守ります。

2014/11/19  さそり座27度 「行進している軍楽隊」

 さそり座27度 「行進している軍楽隊」  A military band on the marche. 街を行進する軍楽隊の音楽はあるひとには賑やかで楽しいものですが、あるひとにはうるさくて耳をふさぎたい騒音にもなります。 自分が良いと信じたことを、人に教えたり広めたりしたくなります。 自分が信じていることを他の人にも信じさせたい、この良いことは信じるべきであるという気持ちには、善意のおしつけがましさも含まれています。このことは 自分一人で何かに集中することができないと、言い換えることもできそうです。それは自分に対する信頼のたりなさからくる不安がその原因ということもあるかもしれません。 そして、そこには隠された依存性が見え隠れしています。しかし それは依存心ではありますが、同時に優しさでもあるのです。このひとはとても人が好く、人情耳あふれる親切なひとなのです。

2014/11/18  さそり座26度 「キャンプをつくっているインディアンたち」

 さそり座26度 「キャンプをつくっているインディアンたち」 Indians making camp. インディアンは理想の地を求め新しい土地にキャンプを張ります。自分たちの生活に必要な物は最小限にまとめ、余計なものは持たず、自然と共存して生きるための知恵と知識と行動力を携えて移動します。立つ鳥跡を濁さず、去る時の潔さと決断力も備えているでしょう。 住めば都、わたしはどこに言っても大丈夫!という自信。そして環境への順応性、そんなシンプルな暮らしに主眼をおいてミニマムに暮らすとき、さそり座的なひとへの依頼心は反対に減少に向う。そして、自立した者同士としての共感、友情をその時、その場所で築いていくのです。新しい理想の地を求めて移動する、その未来に生きるかのような自由度は、コミュニケーション・スキルの高さにもつながりますが、同時に飽きっぽさ、落ち着きのなさとなるものかもしれません。しかし、気さくで親しみの持てる雰囲気は、 どんな環境にも順応できる 生活力とサバイバル能力として、生きる上で非常に力強いものです。

2014/11/17  さそり座25度 「X線」An X ray.

 さそり座25度 「X線」An X ray. 高い視座から物事の本質を見抜く、観察力と洞察力を身に付ける。全体を大きな視点で見ることと、結果からさかのぼり原因に関心を持ち、掘り下げて掘り下げて壁を突き破り、その先にある答えを導き出すこと。さそり座25度の探究心は目に見えるそのままの姿ではなく、その裏にある構造に意識を向けていきます。物質を見えない視線で透過して、その奥に隠された構造を見せるX線は、深層を正確に見透すことを象徴しています。 人間は自分の中に存在しないものを理解することは出来ません。物事の全体像を本当に理解するためには、自分の中にそのことの原因と結果、原因と結果の間にある各段階を体験的に知る必要があるのだと思います。 統合化とはそういうことなのではないでしょうか。 しかし、自分の中にはないと思っていても、それを知りたいと願い、自分の中を掘り進み、掘り下げて掘り下げてゆくと、やがて集合意識と呼ばれるような、民族間に人類感に共有されるという知識の集積に、ほんの少しだけ触れることができる気がします。自分のなかを掘り下げてたどりつく、それも貴重な自分自身の体験なのです。 レントゲン が 1896年 1月23日に撮影した手の 透視画像 。 骨 と 指輪 の部分が黒く写っている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/X%E7%B7%9A さくっとホロスコープ X線を発見したレントゲンさんは、すごいさそり座さんなんですねえ。 わたしは一番にさそり座の土星火星としし座の120度が目に飛び込んできたんですが、しし座の英雄の旅の最中だからでしょうか?!ものすごい集中力とどんどこ掘り下げる探究心、そしてそれを形にしていく激しいエネルギーを感じます。そしてもちろん太陽のいきなり笑い出す少女の顔は、協力者を惹き付けてやまない人間的魅力もあらわしている。水星の27度、頭上を飛ぶ飛行機も、研究者として素晴らしい働きを発揮した。空の高見から地上を見るような高い視座をもって、大局をつかむ。双子冥王星は13度カリスマ音楽家、しし座木星と60度、風と水のひとなんですね。金星が天秤1度ときたら、見るからに研究者、先生って雰囲気の方だったのかもしれません。

2014/11/16  さそり座24度 「一人の男の話を聴くために山から降りてきた群集」

さそり座24度 「一人の男の話を聴くために山から降りてきた群集」 Crowds coming down the mountain to listen to one man. 一人の男、イエスの知恵を求めて、山から下界降りてくる大勢の人々・・。 山の民が山から降りて里に溶け込むべく男の話を聴くとき、山から持ち込まれた未知の知恵が交換のように注ぎ込まれ、里の生活に組み込まれていく。それは奇跡的な変化ではない。外目 には大きな変化は無くとも水が土に浸透するように馴染んでいくのだ。それは内面から生活環境へ、そして社会環境へとひろがり、地に足のついた、大きな変化が始まっていく。使命感から新しい冒険へと試行錯誤していく。あたらしいチャレンジ。 山上の垂訓(マタイによる福音書 5.13  あなたがたは地の塩である。 だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。 もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 5:14 あなたがたは、世の光である。 山の上にある町は隠れることができない。 5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。 むしろ燭台の上において、 家の中のすべてのものを照させるのである。 5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、 そして、 人々があなたがたのよいおこないを見て、 天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 この、「地の塩」「世の光」という言葉にわたしは強く惹き付けられました。地は地上、この現世の現実世界を意味し、塩は生命の維持に絶対に欠かせない要素として存在します。世の光は、人が人生の闇夜に求める道を照らす灯り、家路を照らす一筋の光なのだとわたしは思います。イエスは使徒に、そのような人間であれと言っている。そして山から降りたイエスと使徒を遠巻きに囲む人びとにも聞かせている・・・・。 サビアンシンボルに触れるようになって、わたしは今まで本当に興味のなかったイエス・キリストについて、聖書についておもしろいじゃないか!これはすごいんじゃないの?と、考えが180度変わっていきました。わたし自身は特定の宗教には関係しておらず、禅や古神道、という

2014/11/15 さそり座23度 「妖精に変容するウサギ」

さそり座23度 「妖精に変容するウサギ」 A bunny metamorphoses into a fairy. 受容的で平和主義、癒し系のムードメイカーですが、その穏やかで人望厚い顔の下に、したたかな攻撃性も隠し持っています。それは決してあらわにされることはない芯の強さとして内在するものです。 21度の反骨心から22度の衝動へ、その活動を友好的に穏やかに見せ洗練度を上げていく。尖った攻撃性をやわからかいぬいぐるみのような、うさぎのモフモフにくるんであらわします。 ウサギは防衛本能が強く、気配を素早く察知して危険から身をかわしますが、 まさにそのようにあらそいを避け、生々しい感情を洗練されたものへと 転化して、穏やかにしなやかに 表現していきます。

2014/11/14 さそり座22度 「アヒルに向かって進み出るハンターたち」

さそり座22度 「アヒルに向かって進み出るハンターたち」 Hunters starting out for ducks. ハンターは自分の欲望をむき出しに獲物に向かいます。自分の欲望を正直に表現する。そして、内から溢れる本能的衝動を、危険のない対象に向かってぶつけます。自分より弱いもの、より安全な方向へと、衝動をぶつけエネルギーを分散させる。 遊びやゲーム性のある娯楽にエネルギーをぶつけて、 衝動を分散させ攻撃性を中和し、精神の安定をはかり自分を守る。 その行動は快を求める人間的な正直さともいえます。

2014/11/13  さそり座21度 「職務放棄兵士」

さそり座21度 「職務放棄兵士」 A soldier derelict in duty. 信念に従い信じた道をつらぬく強い意志。受容性の果てに押し付けに対する半パス心が生まれます。粘り強さで理想に向かってひたすら我が道を貫く。 社会の常識を疑い、押し付けられた義務に、流されることなくNO!と言う。しんの強さ。長いものに巻かれる、足並みをそろえるという発想が持てないため、 協調性がないとされ集団活動には向かない人かもしれませんが、こうと決めたら必ず物事をやりとげる達成力、理想を形にする実現力があります。

2014/11/12  さそり座20度 「2つの暗いカーテンを横に引っ張っている女」

さそり座20度 「2つの暗いカーテンを横に引っ張っている女」 A woman drawing two dark curtains aside. Femme fatale秘密の香りをただよわせる神秘的な女。 窓は異界につながる通路であり、開いた窓にかかるカーテンは、2つの世界を行き来する境界線。カーテンを開ける、カーテンを閉める。意識と無意識、日常と非日常、トランスと覚醒を、開け閉めをする、それは必要に応じてコントロールする能力であるのです。 ふたつの世界においての受容性、現実と非現実、ゆめとうつつ、それぞれの世界でそれぞれの2つの顔をもつ、内と外を仕切るカーテンを操る女。

2014/11/11  さそり座19度 「聴いてはしゃべっているオウム」

  さそり座19度 「聴いてはしゃべっているオウム」 A parrot listening and then talking. オウム返しという言葉があります。オウムはヒトの言葉をしゃべったり、時には上手に歌ったりもします。ですがオウムは知的に言葉を理解しているわけではなく、それはもともと本能に備わっているただの反応。そして、それは無意識の働き。 あの時・・・不思議なことに自分でも理屈のつかない判断をしてしまったが、それが案外正解であった・・・ということが人にはあるものです。常識的に考えると理屈が通らない、でもそれが正しいと直観ではわかっている。それは無意識ちゃんの声に従っているということで、自分を超えた存在とのチャネルが開いたということ。ですが、その判断が必ず正しいとは限りません。正しい判断をするためには、意識と無意識の間に矛盾のない通路ができているかどうか、という条件がついてきます。

2014/11/10  さそり座18度 「豪華な秋色の森」

さそり座18度 「豪華な秋色の森」 A woods rich in autumn coloring. 秋は収穫の季節であり、冬を間近の秋枯れの落葉舞う物憂い季節。豊かな森の色彩の美のすさまじさは、ひとのこころを非日常へとさそいます。 人々を潤すための収穫を確実にするためには、他者から離れひとり集中する、徹底した作業が必要になります。日常に、それだけの厳しさを引き受けなくては、ひとのために役に立つ成果をあげて、貢献してゆくことはできないのかもしれません。 なにかひとかどの物事を成し遂げようとするときに、自己の内面を充実させる作業は絶対的に不可欠なものなのです。豊かな森が長い時間をかけてつくられるように、人間の心の森にも育つだけの時間があるのです。 家に閉じこもり没頭する時間があり、そこから解放され人々に貢献する作業の、めりはりのある繰り返しがあります。

2014/11/09  さそり座17度 「自分自身の子供の父である女」

 さそり座17度 「自分自身の子供の父である女」 A woman the father of her own child. 本当の自分を求め、自分らしさについて、あらためて自分の内面深く探求してゆきます。内なる男性性と女性性の統合により生まれるものは何であるのか?真実の創造性にかかわるシンボルです。胎内に孕むそれが一体何者なのかは、生まれいでて、はじめて姿を見ることができるもの。そして成長した姿を見て、はじめて全貌がわかります。産みの苦しみと育ての苦しみ、そしてその苦しみとかなしみをはるかに超えるよろこび、その全てを受け入れるさそりのたましいのうつわ。 子供というのは自分自身の創造性、その母であり父である自分。自己受精し自己増殖していく姿がここに描かれています。 受胎し月満ちるまで体内で育て、外界に生み出し、その後にまた自分で育てていく、育てるのも自分なら育てられる対象も自分自身。矛盾を感じさせるようでいて、実は自己の完成と統合をあらわすシンボルなのです。

2014/11/08 さそり座16度 「いきなり笑い出す少女の顔」

さそり座16度 「いきなり笑い出す少女の顔」 A girl's face breaking into a smile. 笑顔と態度が百万の言葉よりも雄弁に感情を語るということがあります。こころの奥の無意識のレベルでは言葉の意味そのままではなく、その裏の裏までも読み取っているものなのです。 ほんとうのわたし、ありのままのわたし、自然体の自分を大切にします。 少女の愛らしい笑顔は人を和ませ、人を受け入れる。自然の中に静かに咲く花のように、日向に寝転ぶ子猫のように。それは鏡の法則です。自然の姿は人間の内奥の自然性を目覚めさせる。笑顔は笑顔を呼び起こす。 少女のようなやわらかな受容性としなやかな感受性が、チャンスを引き寄せ欲しいものを自然に手に入れていきます。それを手にした時に、少女は感動とともにこう思うのです、「ああ、これこそがわたしが望み、欲しいと思っていたものだったのね!」

2014/11/07 さそり座15度 「5つの砂山のまわりで遊ぶ子供たち」

さそり座15度 「5つの砂山のまわりで遊ぶ子供たち」 Children playing around five mounds of sand. 山というのはヒエラルキーの象徴。ヒエラルキーの頂上の立つ少数の者と、それを支える無数の者たちという構造があります。どっしりと君臨する山と、山を支えている土や砂、樹木や草や枯れ葉や小動物との関係があります。風が種を運んできて、太陽のひかりと雨が土にふりそそぎ、滋養を与え山を育み強化します。5は創造性の子供。自分を外に打ち出し、わたしはここだ!これがわたしだ!と表現していく創造性の子供。子供は山で遊び山に育てられるのです。 頂上という一つの点を支えているのは、底辺という大きな受け皿なのです。 さそり座は、13度で人脈を作り14度で切るべきを切り必要な人を残しました。 水のサインのピークにきて、ここで残した人材を組織化してその頂点に立ちます。今までやってきたことを集めて手を加え、砂場で砂山を作り固めるように、形作っていきます。

2014/11/06 さそり座14度 「仕事をしている電話接続士」

さそり座14度 「仕事をしている電話接続士」Telephone linemen at work. 電話接続士が象徴するものは、切るべき時に切るべき回線を切り、繋げるべきときに繋ぐという、意識を超えた無意識の仕事。それを正しく続けていると、残されるべき回線は自然と残っていくものなのです。さそり座の回線は気脈で通じる回線、生きた血の通うコードです。 少数精鋭という言葉があります、ここでは頭数の多さはまったく自慢になりません。気脈の通じる相互の関係、人脈を制限し集中して使える形に整備して、それを駆使していきます。 「使える人脈」というと打算的に響くでしょうか? それはしかし、本当に打算の上に成立しえるものなのでしょうか? そうではありませんね、そのことを「人脈」を手にしているひとはよく知っています。 この関係は実際、信頼からなり、人を見る目と誠実さを土台として築かれるものであり、誠実な態度の上にしか生まれないものなのです。 使命感にしたがって事を成そうとういときには、むしろ頭数は少ないほうがうまく回っていくでしょう。 少数の精鋭の仲間であるからこそ、気脈のコードが隅々まで通じ合う、阿吽の関係がいきていく。

2014-11-04  さそり座12度 「大使館の舞踏会」

さそり座12度 「大使館の舞踏会」An embassy hall. 大使館という公的で権威ある社交場で、ダンスのパートナーを探します。素晴らしい相手と踊るために、一番良い見栄えの良い自分を出そうと背伸びをします。ここでは、自分より上位レベルにある人脈を掴んで、相手に引き上げてもらうために、人を値踏みしてつきあう相手を選別します。相手に合わせ自らも無理に背伸びをすることで自分の力を底上げして洗練されていくのです。よりよい自分の人生を創造していくために、自分の本心をかくして駆け引きをしたり、今の自分より一段上を目指そうとするため、ストレスもかかえますが確実な成長につながります。 野心的、上昇志向、玉の輿 ちょっと似ているの90度関係のしし座12度、サビアンシンボル「宵の芝パーティ」。さそり座では関係性、しし座では自己表現がテーマになります。自己満足と言ってもいいかもしれません。こちらは、自分をいかにかっこ良く見せるか?ということが重要です。自分を演出し効果的に外に向かい押し出そうと、社交の場でアピールしていきます。しし座は自分の満足感を求めて、取り巻きを求めて自分を演出しますが、さそり座は背伸びした対人関係をあえてえらび、無理して見栄をはることで、社会的に成長し洗練度と高めていくのです。

2014/11/03 さそり座11度 「救助される溺れた男」

さそり座11度  「救助される溺れた男」A drowning man rescued. このシンボルには「溺れる男」と「溺れるための水」と「救助する者」が登場します。溺れるには水の中に飛び込む必要があり、助ける側も水に飛び込むことで危険を共有することになります。二人の人間が水の中に飛び込むわけですが、これは勇気ある行動でしょうか?それとも無思慮な衝動的行動なのでしょうか。 飛び込まれる水は情感であり無意識に人と人を結びつける際の愛情という接着剤です。 そもそも最初の男は、溺れずにスイスイ泳ぎ切るという計画が途中で失敗したのか?それは計画的にか、なりゆきか? そして、男は人との関係を結ぶために自分を危機的状況に追い込むという、究極の賭けに出たわけですが。その呼びかけに応えた救助者がいた。助ける者がいて助けられる者がつくられるのか、どちらが先か?甘えたい者と甘えられたい者は結ばれる運命にある。助けたり助けられたりという関係は、概ね依存へとつながりますが、それは間違いなく深い絆があるということです。 ただし、この賭けはリスクも大きく、いつも成功するとは限りません。

2014/11/02 さそり座10度 「親睦夕食会」

さそり座10度 「親睦夕食会」 A fellowship supper. 互いに認め合った仲間が協力し合い成長していく姿があります。 同じテーブルにつき、同じ食事を分かち合い信頼を深める仲間たち。昔から、一つ釜の飯と言ったり、同じ釜の飯を食うという言い回しがあります。食べることは生命の維持に深くかかわることで、ひとつのテーブルで食べ物を分け合うことは、命をわけあうことを象徴しています。 人との関係を築く上で失敗し、傷ついた経験をふまえて、心から共感できる少数の仲間と、信頼で結ばれた関係がつくられはじめます。努力し壁を突破した体験を互いに分かち合い、相手から学び高め合う、そのためには自分自身が強い意志を持ち自立していないとなりません。 真実の友情、真実の共感は互いに自立し尊重し合うところに生まれます。 ひととひとが出会い、向かい合い、見つめ合う関係から、お互いが前を向きともに歩む関係へと、人間は進んでいくことを定められているのかもしれません。 +++ 井伏鱒二の于武陵「勧酒」の訳が思い浮かびました。 井伏鱒二のこの詩を受けて書いた寺山修司の詩があります。 どうぞあじわってみてください。 「勧酒」 コノサカズキヲ受ケテクレ  ドウゾナミナミツガシテオクレ  ハナニアラシノタトエモアルゾ  「サヨナラ」ダケガ人生ダ (井伏鱒二) 「幸福が遠過ぎたら」 さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう はるかなる地の果てに咲いている 野の百合は何だろう さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう さよならだけが人生ならば 建てた我が家はなんだろう さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう さよならだけが 人生ならば 人生なんか いりません (寺山修二) 人生の花を愛で、盃の水を飲みほして、花も嵐も味わいつくしてみたいものです。

2014/11/01 さそり座9度 「歯科の仕事」

  さそり座9度 「歯科の仕事」Dental work. その気になれば変えられないものはないと、障害を乗り越え常識の壁をぶちぬいて、目的を達成してしまいます。 アクションとリアクション。目的の実現をめざして起こした行動に対して起きてくる外界のリアクション、そのリアクションに迎合するのではなく、対抗し、乗り越えていこうとする。環境に人間が合わせるのではなく、必要に応じて人工的に環境を操作していくという考えで、それを実行に移します。その行為は強引さと不自然さをともない、失敗につながることもありますが、限界を突破していくため、変容のために強引さは必要なプロセスといえるのかもしれません。 歯は食べ物を噛み砕き栄養を取り人間が身体を維持するための最初の段階を担当します。歯に関することわざ慣用句もたくさんあります。歯に衣着せぬとか、噛んで含めて教えたりとか、歯牙にもかけないとか、歯を食いしばり頑張るとか、奥歯に物が挟まったり、食べ物との関わりとともに「努力する、がんばる」ということ、そして「消化し吸収する=理解する」ということに強く関連付けられているようです。