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8月, 2015の投稿を表示しています

2015/08/23 しし座30度 「開封された手紙

しし座30度  「開封された手紙」 An unsealed letter. 伝えることがテーマです。 個人的な「手紙」も開かれていれば、だれでも見ることができてしまいます。 開かれていれば、その手紙は見られるために書かれたもので、 見せるためにそこに置かれているのです。 インターネットは開封された手紙のようです。 中でもブログは日記というとても個人的な形をとっているのに、 見たいと思った人がアクセスすればだれでも読むことができる、 摩訶不思議なしろものです。 そこに書かれているのは、 誰かに対する愛の言葉、 ラブレターであったり、 剣呑な職場の内部からの告発文であったりするかもしれません。 ブログも手紙のように誰かに何かを伝えるために書かれたもの。   インターネットはブログにかぎらずあらゆる種類のプロパガンダが溢れてる。 愚痴であれ評論であれ読まれるために書かれているもので、   書くひと、手紙の送り主にとっては、ある種の心の解放を意味している。 自分の知っていることを多くの人と分かち合いたいという衝動、 書くことしゃべることを自己を表現する手段として、 驚きや歓び怒りや愛の告白、人生の感動を伝達していく。 自ら情報を発信していくという形の自己表現で、自分らしさを発揮していきます。 「手紙には、書き手の魂があらわになっている」ーーサミュエル・ジョンソン(1777)

2015/08/22  しし座29度 「人魚」A mermaid.

 しし座29度  「人魚」A mermaid. 魚であり人でもある人魚は、 無意識の無限の海と有限の現実世界に橋を渡す。 人魚は彼岸と此岸を行き来する。 水のなかで生きるためのヒレと鱗が、 人間の足にとってかわることは、願望の実現であり、 抽象から具象への落下をあらわしているのではないでしょうか。 夢と現実、野生と理性、見えない二つの間を揺れ動く、 もどかしいエネルギーを、だれの目にもわかりやすい、 はっきりした形にまとめます。 人間に憧れた人魚は、無意識の海から顔をのぞかせ大地を見つける。   ここに海が終わり土が始まる。  海と大地を行き来してヴィジョンを現実に落とす。 創作とクリエイターの度数です。 ここでいうクリエイティビティ・創造とは、 願望実現の具現化能力と言い換えてもいいでしょう。   人魚姫 世界の童話シリーズその35 posted with amazlet at 15.08.31 ことのは出版 Amazon.co.jpで詳細を見る ☆ 吉田ゆきさんサビアンシンボル消しゴム版画、サビはんギャラリー

2015/08/20 しし座28度 「大きな木の枝にとまるたくさんの小鳥」

しし座28度  「大きな木の枝にとまるたくさんの小鳥」  Many little birds on a limb of a large tree. いろんなことを思いつき、おもしろいことで頭がいっぱい。 子供が夢中で遊ぶときのように熱中し、楽しみを次々見いだしていく。 大きな事より身近な事に楽しみを見つける感覚です。 大きな仕事に取りかかったあとは、それが成功しようがしまいが、 その次の段階では幹の枝派にあたる、 日常のちいさな仕事に取りかかることになっていきます。 使命感に突き動かされる緊張感から解放され、 普通の生活にくつろぎと希望を見いだします。 大きな使命のためには日常を整えることが、 必要であるということに、あらためて気づくことになる。 28では獅子座でありながら次のサインの乙女座に意識が向かい始めます。 まだ形のない理想の実現のために、具体的な作業にはいる度数でもあります。 大きな木に集まる小鳥たちは、 それぞれに飛びまわり、また木に帰ってくる。 木の上で得たものを持ちだし運び、新たなものをまた持ち帰る。 収集し拡散し収束させる。情報のネットワークを広げてつなぎ共有する。  しし座のジャンプ力 しし座には、獅子ではなくて鳥のモチーフが何度も出てきます。 20度と27度のズーニー族と夜明けにも、 直接的ではありませんが関係していそうですし、 21度のジャンキーなニワトリ、22度の伝書鳩。 28度は乙女座を視野に飛び回る小鳥たちの芸が細かいです。 大きな木のたくさんの枝に、たくさんの小鳥がピーピーチッチと忙しい。 吉田ゆきさんサビアンシンボル消しゴム版画、サビはんギャラリー

2015/08/19 しし座27度 「夜明け」

しし座27度  「夜明け」Daybreak. 夜明けとは闇から光への転換、 月と星々との夜の世界が太陽の光の世界に反転していくとき。 闇に射す光は天の啓示や発見のひらめきにたとえられます。 天から大地に降りてくるもの、 その光は惑星と人を繋ぐ光の道。 26度で嵐の後の虹から使命を受け取った男は、   27度で夜の次の、朝との間である夜明けを迎えます。 くらやみに太陽の光の筋が放射に広がるり 外に向かって自分の使命を押し出していく。 使命感に突き動かされる男は大げさで子供っぽい印象もあります。   日の出の勢い、 夜の隙間からオレンジの光が射し込み、 だんだんと広がっていくさまは、ひとびとに希望を与える荘厳さがあります。 しかし、まだ目覚める用意のできていないひとにはまぶしすぎる、 心の準備のないひとに、夜明け はちょっと迷惑な明るさかもしれません。

2015/08/18  しし座26度 「虹」A rainbow.

しし座26度  「虹」A rainbow.   嵐の後にできる虹から天啓を得る。   大空に弧を描く虹は、 雨と太陽と風とが大地に掛ける橋。 神の使いの龍や蛇にたとえられ、ときには悪魔の手先にたとえられ、 人ならざる意志を感じて畏怖された古代の虹は、 いまはすでに失われてしまいましたが・・・。 虹はキリスト教では神との約束、使命を意味するそうです。   ひとはみな自分が特別なものであるという、 証明をしたがり、それを他者に示すことが目的の証拠をほしがります。 そのために人から与えられる評価にすがるひともいますし、 自分が努力し成し遂げた成功体験にすがるひともいます。 ですが、どれも盤石なものではありません。   長く生きるうちにその多くはへし折られ損なわれ、 努力の末に得たはずの成功体験さえも地に落ちて、 形あるものはすべて無に帰す。 なにも持たない、ただの自分。 はだかのわたしでただ生きる。 何を成そうが成すまいがわたしはわたしであるという、 根拠のない自信を持つことです。 美しさに、尊さに、不思議さに、 愛しさにすべてのものに根拠を求めない。 嵐の後の虹の美しさに、雨に濡れた樹木のたたずまいに、 ただこころうたれた瞬間こそが絶対です。 はかなく消えてしまう虹に神を見るように、 瞬間に永遠を感じて生きるのが、こころある道。  

2015/08/17  しし座25度 「砂漠を横切るラクダ」

しし座25度  「砂漠を横切るラクダ」  A large camel crossing the desert. 広大な砂漠を横切り、ラクダはどこに向かうのか・・・。 熱砂と嵐の過酷な環境の中、荷物を運ぶラクダのように、 砂漠の嵐に遭遇しながら目的地を目指して前進するラクダは、   どんなに過酷な状況にあっても自分の役目を忘れない。 立ちふさがる障害を強い精神力で乗り越えていく精神力。 逆境のなかにあって自分の使命を貫くと押す、困難に屈しない強さ。 自分に対する厳しさを保つ姿は、他者の理解は得られないかもしれません。 一神教の砂漠の神は厳しくひとを裁くのだ。砂漠に照りつける太陽は厳しく激しい自然の驚異であり、温暖な土地では万物を育む恵を与え太陽が、生命を奪う悪 魔に変身してしまう、価値観の反転するところになることでしょう。砂漠においての恵みは月のひかりの優しさかもしれません。厳しさは精神力を養い、自分自 身の信念を強化します。重い荷を背負い背中に脂肪というエネルギーを蓄えてラクダは遠い約束の地を目指す。砂漠という未知の領域を突っ切るための資源は精 神力と持久力。

2015/08/16  しし座24度 「身だしなみの整っていない男」

しし座24度  「身だしなみの整っていない男」 An untidy, unkempt man. 男は他のすべてを犠牲にして、なりふり構わず信じた道を突き進む。 内面的な意識の変化と進化にフォーカスするあまり、 日常のすべてが置き去りにされる。 優先順位、消去法、あらゆる見栄と虚飾をとりはらい、 純粋に、孤独に、自分の内面と対峙する。 人々は男のその姿に神聖さを見出し、こころ惹かれますが、 男は人が自分をどう思おうが無関心。 表面的な見かけの良さや、資格の有無や、 社会的地位を追いかける一般ピープルに興味なしとばかり、 この男の求めるものは至高の体験、至福の瞬間、 精神の高揚とそれを再現する方法だけなのです。 しかし、人と関わってこその人生。 この地上世界で運を運ぶのは結局は人、 もっと他者に対しての興味と柔軟なものの見方も欲しいところ。

2015/08/15 しし座23度 「裸馬乗り」

しし座23度 「裸馬乗り」 A bareback rider. 動物的なパワーを身につけたいと願い、 無理なことにチャレンジし続けます。 21度で闇雲にジャンプして22度で着地点を見つけ、   23度では跳躍と着地の間を 行き来してコントロールする術を手に入れる。 馬が象徴するものは、 野生動物の本能のままの躍動感、 走る速さのスピード感、人の身体能力を上回るパワー。 それに直感的な判断力と純粋さ。 野生馬をてなづけるのに重要なのはパワーではなく、   何度落とされてもあきらめない根気と努力、 そしてなにより馬に対する愛情なのかもしれません。 馬を乗りこなすには、まず自分の乗るべき馬と出会い、 その馬を追いかけて捕まえ、手綱をつける・・・ 少しづつ近づいて手懐けるそういういう手順が重要です 。何度でも繰り返し 失敗を恐れずチャレンジし続ける姿は、 周囲の人の注目と信頼を集めます。

2015/08/14 しし座22度 「伝書鳩」 A carrier pigeon.

しし座22度 「伝書鳩」 A carrier pigeon. 伝書鳩は、天上と地上をつないで空を飛ぶメッセージの担い手です。 大切なメッセージを携えて、 伝書鳩は自分の使命を果たすために目的地を目指す。 21度で自分に中毒しジャンプを試みた鶏は、 そこで神からのメッセージを受け取り、 22度で着地しひとのために働く伝書鳩になりました。 多くの人に貢献する伝書鳩の役目を果たせるのは、 失敗の経験を経て学んだことのある、鍛えられた鳩だけなのです。 自分の夢をどう形にするか?ということと同時に、 それを人のために役立てる段階にはいってゆく、 人を勇気づけ人の気持ちを鼓舞することで、 自分自身を奮い立たせる。

2015/08/13  しし座21度 「中毒した鶏」Chickens intoxicated.

しし座21度 「中毒した鶏」Chickens intoxicated. パワーと集中力で現状を突破していく。 とうの昔に飛ぶことを忘れたはずのにわとりが、 いままさに飛ぼうとしてます。 なにがなんでもあそこに行こう!と、高い木の梢を目指してジャンプする。 にわとりの野性を呼び覚ましたのはなんだったのか? それは本人さえもわからぬままに湧いてくる無意識の衝動。 成熟を迎えつつある21度のエネルギーが根拠なくあふれだすいまこの瞬間。 イカれてる!だれもが鶏を指差しそう言うでしょう。 事前の準備もなんの計算もないままはじめる冒険は、 もっとも冒険らしい冒険かもしれません。 たとえ失敗に終わっても、 ドラマチックな精神の跳躍がありさえすれば、 それだけでよいのかもしれません。 やたらに羽をばたつかせてフラフラと飛ぶ姿は、 ドラッグによる変性意識体験の酩酊状態を想像させます。 神秘体験へのあこがれ、シャーマニズムへの傾倒 などは、 エゴと霊性の不均衡の混乱を引き起こし、 飛ぶ前に堕ちるような残念な結果になることもある。

2015/08/12 しし座20度「ズーニー族の太陽の崇拝者」

しし座20度 「ズーニー族の太陽の崇拝者」The Zuni sun worshippers. 空に太陽があるかぎりいつでも元気でいられるよ。 朝日とともに目を覚まし、日暮れとともに仕事を終えて眠りにつく。 規則正しい日々のくらしが、身体とこころに刻まれて、 リズミカルなサイクルをつくる。 太陽が嵐の雲におおわれていても、 ズーニー族は太陽が空にあることを知っている。 偶然の幸運や、お祭りや、パーティがなくたって、 自分で自分を盛り上げて自らエネルギーをチャージできる。 音楽、舞 踏、古典的儀式、信仰、読書、 トランスとチャージの自分なりの方法を持っている。 エネルギーが枯渇したとき、それをやればいつでも精神の高揚が戻ってくる。 太陽の火の明るい高揚感。 太陽という崇拝の対象を頭上に掲げることで、 太陽の力をいつでも自分の中に呼び覚ますことができる。 日常に根付いた「儀式」は精神性の高さと内的強さを与えてくれる。    吉田結妃さんのしし座サビアンカード ギャラリー

2015/08/11  しし座19度 「ハウスボートパーティー」A houseboat party.

しし座19度 「ハウスボートパーティー」A houseboat party. 変化し続ける水の上、バランスをとりながら、今を楽しんで生きる。 土に根付かない船のように自由に心を遊ばせる、 内面の子供に忠実に、、自由気ままに自分の好きを求めつづける。 遊びの精神を解放したライフスタイルに、 たがいに引き寄せられて出会う彼と彼女。 地上の堅苦しいルールを離れ、宴を楽しむ船上の人々のは、 遊び人、根無し草、マイペースで無責任な自由人、だけどなんだか憎めない、 そんな身勝手な姿に人々は反発しつつ憧れる。 地上に縛られる人々の目には、危なっかしくも華やかで眩しいものに映るでしょ う。

2015/08/10  しし座18度 「化学の先生」A teacher of chemistry.

しし座18度 「化学の先生」A teacher of chemistry. 人生は大きな実験場。 自分を外に打ち出して、自分の好きを表現して生きる。 そのための試行錯誤にドラマが生まれる・・・ 自 分にしかできない表現と、それを探す道のりが人生の実験。 表現とは仕事であり趣味であり、あなたの生きる活動すべて。 社会のルールやマニュアルやメディアや他人の言葉はあてにならない。 それは、つまり「常識」それは単なる他人の事情、他人の思惑、 そんなものは、体制や時代や環境で移り変わるものだ。 既成概念にとらわれず、自分自身の直感で答えを導く。  ちいさなことにとらわれず 全体を観察して把握する力があります。 集中力と忍耐力で問題が発生したときは冷静に分析をし、 解決の道をみずから見つけてゆくのです。 物と物が結びつき変化を起こし、 まったくあたらしいなにかが作られる科学変化。 物と人、人と人との関係にもこのこの法則が使われます。 意識の変容を目ざすところにそれぞれの個性を生かす道が交錯する。 ここで言う科学とは、意識の変容をおこす錬金術のようなもの。 自分自身がたどった変容の過程、それがやがて過ぎ去った過去になったとき、 今まさに変化の渦中に翻弄されている人を導くことができる自分に出会う。

2015/08/09 しし座17度 「ベストを着ていない聖歌隊」

しし座17度 「ベストを着ていない聖歌隊」A nonvested church choir. ありきたりで平凡な毎日を、生きる特別なわたしたち。 わたしたちは自分にしか出せない特別な声で、 同じひとつの歌を声をあわせてうたっている。 歌の高揚感。聴くことと歌うことの高揚感。 教会という、神聖な場所でありながら、 日常にとけこんでいる特別な場で歌われ、 聞かれる聖歌隊の歌声は人々の精神を一瞬で跳躍させてくれる。 キリスト教圏の人々にとり、聖歌隊の集う教会は、 日常のなかに根付いた非日常との出会いの場所。 そこに行けばいつでも神がいる。 仲間との一体感と神との一体感が感じられる場所。 ベストを着ていないというのはきちんと準備をしていない、 普段着のまん までやってますという、リラックスした日々の延長であり、 お仕着せではない主体的な行動、有志のボランティアであること。 気取りのないささやかな日々の暮らしのなかに、 小さな感動を見つけるように、平凡さのなかにスペシャルを加える。 そのスペシャルが人生を豊かにし幸福を創造する。

2015/08/08 しし座16度 「嵐の後の陽光」

しし座16度 「嵐の後の陽光」Sunshine after a storm. 嵐の後にやってくる陽光は、 宇宙の司る生命の再生のサイクル。 獅子座の頂点である「山車」を経過して折り返し。 刷新のあとのRestart、危難のあとにやってくる神の恩寵。 強制的な刷新のあとの、すべてが初々しく新鮮に輝く瞬間。 激しい嵐の暗い海を、嘘のように穏やかな夜明けの太陽が照らす。 陽光に輝く波のしずくに神の息吹が宿る。台風一過、嵐の後の静けさ。 怒濤の祭りが終わりを迎え、ホッといきをつくような脱力の瞬間。 祭りの最中は気付くことのできない緊張感から解放される。 宇宙の法則、陰陽と緩急のリズム、緊張の次に訪れる緩和。 祭りの後のうつろな寂しさを感じつつ、次への英気を養うとき・・・ 派手やかな獅子座らしさの明るさに憂いがまじり、 みずがめ座らしさの「達観」が加わりクールな印象がある。

2015/08/07  しし座15度 「山車」 A pageant.

しし座15度 「山車」 A pageant. 自分を表現しきって感情の高揚の頂点に立つ。 人の輪の、中心に立つ人特有の華があります。 お祭りやイベント、人の作った舞台じゃなくて、 自分で自分の舞台を作るよ。 ひとを集めて盛り上げていくよ。 自分が中心になって、シナリオえがいて組み立てて舞台を創る。 その上に立って歌って演じる側で、わたしは本領を発揮し輝きを増す。 役者を際立て注目を浴びる、シナリオを作る面白さ、 役を演じる歓びを知ったひとは、もう刺激のない日常には戻れない。 退屈な繰り返しの毎日だけでは別人のように無気力になってしまうかも。 だからしし座は自らたちあがり祭りをつくる。 山車の舞台を自分で探して、祭りがなければ作ってしまおうという度数。 山は神の依代であり、出しは神は乗せて運ぶもの、 お祭りは神聖なるかみごとなのです。

2015/08/06  しし座14度 「表現の機会を待つ人間の魂」

しし座14度 「表現の機会を待つ人間の魂」 A human soul awaiting opportunity for expression. チャンスを狙っていた芸術家は、 これまでの経験を踏まえ、効果的に自分自身を打ち出して行くためには、それにふさわしい場所があるということを知る。想像力を衝動のままに溢れ出させるだけでなく、その場所に自らが立つ方法を真剣に求め、もっとっも効果的な自己表現の方法を探っていく。 表現の機会を待ち望み、境界の門番ケルビムの前に行列をなすたましいたち。どのたましいも期待に満ちて個であるよろこびにふるえている。人間には人間にしかできないことがある。それぞれが重なりあい、一片の弧として描く軌跡が大きな大きなひとつの円を形作っているのである。それぞれが個性を持ってそれを独自に表現していくことが、全体としての完成に至る道。それは、この世の地上の生活においてしか実現することができないことなのだ。人間として生きるということは、本来すべてがうれしくめずらしくたのしいことなのだ。

2015/08/05  しし座13度 「揺れている年を取った船長」

しし座13度 「揺れている年を取った船長」An old sea captain rocking. 老いた船長はゆったりと若い頃をふりかえり、 自分の人生をひとつの物語りとしてシナリオを練り上げます。 どんなことにも遊びの精神を織り交ぜて、おもしろく脚色する。 オーバーアクションな身振り手振りで、自慢もしっかり混ぜ込んで、 心は若いいつだって主人公は俺!なんですけどね、 そう、いまだって冒険心は忘れてません。 だけど、気持ちはあるけど、からだがついてこん・・・。 ここはからだと相談し無理せずゆったり、揺り椅子に身を任せ、 アクションの本番は若いもんに託すのです。 ベテラン俳優が、映画監督に転向する、 そんなイメージがぴったりくるかもしれません。

2015/08/04 しし座12度 「宵の芝パーティー」An evening lawn party.

しし座12度 「宵の芝パーティー」An evening lawn party.   宵の芝のパーティは、 日常の生活や仕事の立場を離れ、ほどける時間。 仲間同士でリラックスして楽しむ屋外のパーティ。 集まるのは気のおけない友人たち。 ホストはゆるゆる緩和のなかにも、 ピ リッと緊張の笑いを取り込み、 生活感を排除した大人の社交の場を保ちます。 楽しませることは、楽しむこと! しし座の本領発揮して、 外に向かって自分を効果的に表現し ていきます。 いつだって笑いの中心立つアピール力と演出力。 パーティを盛り上げ人々を笑わせ楽しませつつ、 大勢の中でいながら、主役の自分をどう際立たせ るか? サービス精神旺盛ですが主役はいつも自分です。

2015/08/03  しし座11度 「大きな樫の木にあるブランコに乗る子供たち」

しし座11度 「大きな樫の木にあるブランコに乗る子供たち」 Children on a swing in a huge oak tree. 大きな樫の木の下、 太陽の強い日差しから守られて子どもたちは無心に遊ぶ。 大きな手に保護されて守られていることにも気づかずに、 子どもたちはただ無心に遊 ぶ。 子どもたちはいろんなことを思いつく遊びの天才! おもしろいことで頭がいっぱい。 子供はあそびから人生に必要な全てを学ぶ。 ブランコの楽しさは風を切る躍動感、 高く上がれ!もっとあがれー。 普段の遊びでは得られないスリル。 振り子の上に立つように、視点の移動がおもし ろい。 おとなになってもブランコは乗れることは乗れるけど、 重たくなったぶん、こいでもこいでも引き戻す力のほうが強くなる・・・ 大人は高くはあがれな い。 あぶないことは楽しいもの。   子供が夢中で遊ぶときのように熱中し楽しみを次々見いだしていく。   それは、大きな事より身近な事に、楽しみを見つける感覚です。 樫の幹からのびて広がる枝葉のように、たくさんのアイデア、 たくさんの面白さを思いつくとき。 この動画に、とてもとても大きなOAKTREEがでてきます。 ケルトの魔法の森.☆.。.:*・゚.☆.。.:*・゚ UPしてくださった方に感謝☆ 木ってよくみるとおもしろい。 根っこの広がりと枝の広がりは同様じように見えなくもない。 あるのは上向きか下向きの違いだけ。

2015/08/02 しし座10度 「早朝の露」

しし座10度 「早朝の露」Early morning dew. 長い夜を越えて迎える夜明けのあかるい朝。 山の端、海の端、陸の端から顔を出した太陽が、 一斉に地上を照らす。 草の葉の露をキラキラと光らせ眠りから覚める、 そんな太陽のような前向きな明るさが、周囲のひとを元気づける。 9度でガラス職人が作り上げた作品が、 10度では日常の中に広く浸透していく。 きらきらと木の葉をころがる朝露が人々に感動を与えるように、 ささやかだけど力強い生命の力、地に足の着いた日々の生活、 そんな日常のいとなみのなかに、太陽の意志は宿っている。

2015/08/01  しし座9度 「ガラス吹き」 Glass blowers.

しし座9度 「ガラス吹き」 Glass blowers. 創造への意欲と集中力と熱気。 ガラス職人が息を吹き込みふくらませ、ガラス玉に輝きが与えられる。 ある種の画竜点睛。 ひたいに汗を光らせて顔を真赤に紅潮させたガラス職人が、 真っ赤に熱したガラス玉に息を吹 き込み、形にしていく姿。 職人魂んp息吹がこめられて、ガラスはあたらしい命を得る。 誰に邪魔されることのない命の誕生のとき、 自分と対象だけしか存在しな い創造の時間。 自分の魂を形にすることに集中する。 自分のものへの愛着。 ないものは自分でつくる。 自分が欲しいものは自分にしか作れない。 自分独自の拘りの強さ、客観性はなさがむしろ先鋭的な性を作る。