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7月, 2015の投稿を表示しています

2015/07/31 しし座8度 「ボルシシェビキプロパガンダを広める人」

しし座8度 「ボルシシェビキプロパガンダを広める人」  A Bolshevik propagandist. ボルシェヴィキは過激な左派思想、 プロパガンダは思想的な宣伝活動です。 信念にもとづいた思想的な過激さと、正義感の暴走、 他者への押し付けのちからの強さ。 常識とされていることであっても、 自分の信念に反することであれば徹底的に闘う姿勢を示します。 常識や伝統、既成概念に疑問を呈し、自分の正義をどこまでも貫く純粋さ。 それは時に、幼児の遊びの積木くずしのような、 創造と破壊の衝動の根源性を思わせる。   自分のおかれた現状に甘んじることができず変革を求めて行動する。 革命家。リスキーな極端さがともないます。 体制を壊して新しくユートピアを建設するんだ! と いう過激思想に似た激しい気負いと、子供っぽい極端さ。   純粋さと若さの情熱が障害を突破する力になる。      ****  ****  ****     みずがめ座8度 「美しい衣装を着た蝋人形」Beautifully gowned wax figures. 美しい衣装を着て、観られるために台の上に立つ人形は、   ある種の「モデル」であります。 アーキタイプを視覚化したもの。 蝋人形は見られるために作られ飾られる。 リアルな生の現実よりも架空のファンタジーのなかに真実を見出します。 自分がしっかり想像できる世界、 シュミレーションとリアルな世界=現実には、それほど大きな差はないと考える。 想像できることは実現可能であるというように。 人間の肉体や情感などといった、うつろう不完全性を排除して、 冷静に計算し、コンピュータで実験でも行うように、自分の理想を実践していこうと試みる。 人間関係もその一部としてゲームやシュミレーションに似た感覚で、 生の感情を感じさせない、ということもある。 そのため、「内面がわかりにくいひと」と、他者からの共感を得にくい面があります。 しかし、そのぶん他者に煩わされることがなく、自分の時間を自分のために使う、 やりたいことができる、というのは大変なメリットかもしれません。

2015/07/29しし座7度 「空の星座」

しし座7度  「空の星座」 The constellations in the sky. Every man and every woman is a star 輝く夜の星座が象徴する普遍性に人生の基準を求める。 時代の変化によっても失われることのないなにか、 夜のくらい空にきらめく星々に、 古代の人々が神話と星と星をつなぎ星座を創作したように、 永遠不変のなにかを希求する。 世間の常識ローカルなルールに縛られないで 高い視点から物事を見るため 、 周囲からは浮いてしまい 、 浮世離れして映るでしょうが、それはそれ。   流行に左右されない安定感、ゆるぎなさ。 いまは理解されなくてもいいのだ、 いや、理解されないくらいがいいのだという、強い信念を持っている。 そんな年齢を持たない永遠の不良少年は、 いくつになっても魅力的です。

2015/07/28  しし座6度 「時代遅れの女と最先端の少女」

しし座6度  「時代遅れの女と最先端の少女」 An old-fashioned woman and an up-to-date girl. 自分の好みを押し出すあまり、 周囲とのギャップが広がっていたことに気がつき、 立ち止まり周囲とのズレを修正していく。 過去と未来行き来してふりかえり先を読み、 時代の流れに敏感に読み取る。 自分が一番輝いていた時代の過去で 時間をとめて そのなかで 生きている大人の女と、 今この瞬間を輝いて生きている少女が出会う。 このふたりの出会いが時代をかえてゆく。   新旧の最先端が情報を交換し、時代遅れを修正し、   リヴァイバイル取り入れて、デザインを洗練させる。   お互いが違いを認め合い、流行の移り変わりを知る。   ふたりはまるで互いが互いの鏡のよう。正反対だけどうりふたつ。 ふたりは互いの出会いによって相手を通して自分自身を知ることになる。         ↓間違えて、みずがめ座6度をUPしていました(汗)。 180度違う!とか言いますが、しし座とみずがめ座は180度関係・・・     みずがめ座6度 「ミステリー劇の演技者」A performer of a mystery play. 人生はドラマ、自分という謎を解くミステリードラマ。 主観的な個人という枠から解き放たれ、 ペルソナをシーンに合わせて付け替える。 シナリオを読み込んだ俳優がひととき役になり切るように、 その場所にふさわしい役割を読み取って演じます。 俳優はひとり、 シナリオと配役によって千の仮面を付け替える。 そして舞台を降りると、本来の自分を取り戻す。 みずがめ座が求められる役を演じるのは、観客の期待に応えるためではありません。 こころの自由、精神の跳躍、 自分の聖地、 を守るため。 一つの役割に没入しすぎて、いつしか自分自身を見失う・・・ それを一番の愚ととらえるのがみずがめ座の本質かもしれません。 mystery playは神話の再現。 そうすると、180度に位置するしし座の象意を思わせますが、 ここでは型にはまったこだわりを見せるのではなく、その場に合わせて型を演じることで、 こだわりのない自由さを表現しているようで

2015/07/27  しし座5度 「絶壁の端にある岩の塊」

しし座5度 「絶壁の端にある岩の塊」  Rock formations at the edge of precipice.   大きな夢を描きその実現のために行動し大きな壁にぶつかる。 ぶつかってはじめて、今まで見過ごしててきた自分の問題に気付き、 挫折から学び、賢さを身につける。 絶壁の縁にある岩は、道の終わりを意味している。 岩崖からの飛翔になるのか転落になるのか、 いずれにしても物事の終わりとあたらしい始まりを告げる。 道を塞ぐ障害だと思った岩の塊は、 旅人が絶壁から落下しないために立っている境界の番人。 岩の塊は砂や泥にまみれた現実という名の無骨なガーディアン。 大きな希望には絶望の可能性もついてまわります。 それが地上の理ですが、だからといって、 希望を自ら捨て去ってはいけません。 岩に潜む見えない力が指し示す、その方向に、 飛び出す時がきたら、その機を逃さないで捕まえるのです。 時間にも波にも侵食されない絶壁の姿は、普遍性という 4度の男の求めていた変わらない本当の価値あるもの。 ここではじめて、かに座から引きずっていた他者の影響を抜け、 本質的な価値を見つける。    

2015/07/26 しし座4度 「正装した男と角を刈られた鹿」

しし座4度  「正装した男と角を刈られた鹿」   A man formally dressed and a deerwith its horns folded. 本能的な力を無意識から目覚めさせ、行動化する。 横溢するエネルギーを正装で隠した男は、 無意識の本能的な力を意識化し、コントロールする。 そして、 その能力を現実的な行動に移していく、 能ある鷹は爪を隠す、そんなイメージ。 力の象徴である角を刈り取られた鹿の、 その角は鹿の正装した姿といえそうですし、 角を刈るのはある種、去勢、 角を刈ることで雄鹿の力をコントロール下に置く。 刈られても鹿の角はまた来年に生えてくるのですから。 角があるのは牡鹿だけで角は男性性の象徴です。 そして、角は生え変わる。 自分の強さを他者に見せつけるための角と、 正装は地位の高さ権威を示すための見栄えの良さを兼ね備える。 自分は特別だと口で言うだけの、 根拠の無い自慢屋で在ることをやめて、行動で結果を残す実力主義者。

2015/07/25 しし座3度 「髪型をボブにした女」

しし座3度  「髪型をボブにした女」  A woman having her hair bobbed. 髪を切るというのは自己主張、他者に向けての意思表示。 または決意表明。 そして、小さな意味では気分転換。 生涯青春!精神の若さの強調と個性の主張。 社会の規範でなく自己の内面を基準に生きる。  アンチエイジング度数。 変わらない内面の若さを外面にあらわしたいという願望。 時間とともに伸びてゆく髪は過去をあらわしているようです。 髪を切ることは過去への執着を捨て、 新陳代謝することににひとしいことです。 髪を切り、新旧を入れ替え る、刷新する。 ボブに切り揃えた髪を鏡に映し、若返った自分を確認している女。 しょっちゅう 髪型を変えてるおしゃれなひともいて、 流行を追うのもしし座にとっての自己表現。 洋服やヘアスタイルやメイクは「私はこういうひとです」 と言い切るいう宣言であるとともに、 他者にこう見られたいという理想の自分の姿でもある。 ですが、何かの反動でネガチブな表出をすると、 極端な若作りが 周囲に突飛な印象を与えることもあるかも。 しし座の3度は 自分らしさ、自分の個性を打ち出すことが板についてきます。 ちょっと発展した若作り系も入ってきそう。 サビアンシンボルの生まれた1925年当時、ボブヘアは流行の最先端。 こちらの麗子像は、サビアンシンボルよりもうちょっとだけ古いですかね。 おかっぱって、ちょっと見てみて、額縁みたいじゃないですか? 顔を縁取る額縁です。どうだ、この顔(画)!っていう見せびらかし。 どうだ、うちの麗子は!って、いう、  

2015/07/24 しし座2度 「おたふく風邪の伝染」

しし座2度  「おたふく風邪の伝染」 An epidemic of mumps. 影響力と伝播力。 熱にうかされ全身がふるえるような何かとの出会い。   なにか大きな変化ががはじまるときの予感に身震いをする。   それはまるで熱に浮かされたように、 見えないウィルスが伝染していくかのように。 衝動は コントロール不能、 コントロールできずに走りだす。   その力は自分を離れ駆けまわる 。 隠すことのできない自分の気持ちの高揚が、 周囲に伝播して人々を巻き込んでゆく、   やり過ぎ感、伝染力、集団感染、 学校閉鎖、臨時休業で日常が滞り、 普段は無意識に隠されている願望が覚醒する。 一般にもおたふくかぜは子供の病気として知られています。 一度かかると抗体ができ二度かかることはない病気。 おたふくかぜは幼児期に済ませておくほうが軽くすむ。 子供の病気と子供の遊びは子供のときにやり損なって、 大人になってやり直し・・・となったときには、ちょっとタイヘンかもしれません。 それはなんとも示唆に富んだ話ではありませんか。

2015/07/23  しし座1度 「脳いっ血の症例」

しし座1度  「脳いっ血の症例」 A case of apoplexy. ドキドキがとまらない!はげしい衝動。 それは、熱い血の流れる血管が脈打つような、 意識ではコントロールできない本能的なエネルギー。 頭を巡るアドレナリンで隠されていた無意識が目を覚ます。  内面から強い火の衝動が吹き出します。 『なんだこれは!』という驚きの感動、 自分の感じたその衝撃をみんなにも伝えたい! それは自己表現による情熱の放出。 自らの発したエネルギーに自分自身が翻弄される。  世間や他者に理解や共感を求めることなく、  むしろ、普通でないこと非常識であることを選ぶ。 多数に迎合することなく、個人の創造力を突き詰めていく永遠の子供。    身体対応からいうと、しし座は脳ではなく心臓ですが、 心臓は血液を全身に循環させる働きをしています。 心拍数が多すぎても少なすぎても、問題になります。 個人的にしし座1度的映画なら、無名時代のスピルバーグの「激突」かな。 あと、岡本太郎の太陽の塔ですかね。 ※岡本太郎さんはしし座ではありません。 太陽はうお座で、しし座の対向に水星とたぶん月がある。   2012年7月4日 2800万円の花火がコンピューターの誤作動で15秒で2万発、一気に・・・。

2015/07/22かに座30度 「アメリカ革命の娘」

かに座30度 「アメリカ革命の娘」A Daughter of the American Revolution. 家族礼賛。 昔はよかった、わたしの家族は立派なひとだった。 家族揃った食卓に、まだじいちゃんばあちゃんがいて、 子どもである自分の未来に、家族全員が夢を託していた。 今はもう、ここに揃うことはない家族を、過去を懐かしむ。 アメリカ革命の後に生まれた娘は、アメリカが通ってきた革命の血の歴史を知らず、教えられたまま過去の栄光を信じて生きている。愛国心に通じる家族礼賛、 自分の家族が一番素晴らしいと信じ、素直に自分の国は良い国だと教えられるままに思い込む。そして、祖母から母へ、母から娘へと受け継ぐ家庭の味付けのよ うに、アメリカ的良心を自らも継承していくのであった。独立精神で誇りと自信に満ちているその姿は、外から見れば大した根拠のあるものには見えず、時に滑 稽に映ることもあることでしょう。 自分の属する世界に依存することは、その世界から依存されるということでもあります。与えるものは奪うものであり、包み込むものは弾き飛ばすものである。 あたらしいすばらしい世界が外にあるかもしれないと、もしも気づいてしまったら、いままで当たり前のこととして無条件に礼賛してきた、自分の世界の歪みに 意識が向き、そこからの脱出を目論むことになってゆきます。場と同一化している限り本質は見えません。その場所からはなれてはじめて、それを知ることがで きるのです。しかし、ここでは、新しく個性的なものに憧れながらも、最後の一歩で踏みとどまり、自分はどこにいてもアメリカの娘であるということを知るこ とになる。 古き好きアメリカといったりします。これは、開拓者時代やアメリカ革命、 それはもう神話の中の物語と化した フロンティア精神、アメリカンドリーム、 そういったものをもさしているのかもしれません。 それはしかし大半が白人にとっての善き時代、これからはじまる幸福な未来という夢見る時代。 でも、アメリカに限らず今は、それほど、夢見る余裕はない時代かもしれません。 失ってから知る過去の価値といいますが、過去は個人の中で美化されて保存される。

2015/07/21 かに座29度 「双子の体重を測るミューズ」

かに座29度 「双子の体重を測るミューズ」 A Muse weighing twins. 双子はこの世界を形づくる二元性をあらわしています。 光と影、善と悪、陽と陰、 未来からくる新しさと、馴染みのある過去の古さを女神が秤にかける。 2つのものをはかりにかけて比較する。 比較から生まれる迷いと葛藤。 これまでの経験という過去を棚卸しして、 未来のしし座を視野に入れ比較し検討する。 蟹座的集団 の中にいながら、 次のしし座の外の冒険の世界に憧れて、脱出をはかる。 この迷いの中で下す決断は、論理思考に依らず直感的なものになる。 積み重ねてきた経 験と、あたらしい未知の冒険を混ぜあわせて融合させる。 洗練されてゆく理解力と判断力。 女神のはかりは価値観の偏りを正す公正な愛と知性のはかりなので す。

2015/07/20  かに座28度 「現代の少女ポカホンタス」

かに座28度 「現代の少女ポカホンタス」A modern Pocahontas.  蟹座的ファミリーの中に属しながら、しし座の自由と冒険の地平を目の端にとらえ、行動に出ます。今ある大切なものを失っても、目の前に見えてきた新しい世界への扉を開ずにはいられない。 現在の安定の中に変化を持ち込み内部に波風をたてるため、無意識に変化を避けて現状に安住する人にとっては、望まない変化を持ち込むトラブルメイカーにな ります。しかし、そこに見えたあたらしい扉を開くことは、閉塞した集団のなかにあたらしい種を芽吹かせる勇気ある選択でもあります。 ポカホンタスは好奇心と冒険心に富んだインディアンの少女で、侵入者≒開拓者であるイギリス人の青年と恋に落ちるという設定。年頃の娘であるポカホンタス の純粋で無防備な行動は、部族とイギリス人たちの敵対を激化させる自体を招く。しかしまた、それによりふたりは自分たちの愛を強く結び、最後には認められ る。結末としては、ポカホンタスは愛と冒険の旅よりもファミリーにとどまり安心を選ぶのですが。ですが、恋をしてイギリス人を救った時点でポカホンタスは 部族を捨てているのですよ。ポカホンタスに捨てられたファミリーはプライドを大きく傷つけられたわけです。ポカホンタスの恋は、部族に嵐を呼び、大人たち の信念体系を大きき揺るがせ、強く変容を迫った。嵐が去って、成長したポカホンタス。しかし変化し成長したのはポカホンタス本人より、部族全体だったかも しれないですし、白人至上主義があたりまえの世界にいたイギリス人たちへの影響も大きかったでしょう。 ポカホンタスの物語り自体は、西欧目線で書かれているので、その点は頭のスミにおいておくということで。

2015/07/19 かに座27度 「渓谷での嵐」

かに座27度 「渓谷での嵐」A storm in a canyon. 嵐は突然やってくる。 予報を聞いて予測はしていても、 これほどの被害になるとは!こんなはずじゃなかった・・・ と、いうことが人生には起きたりします。 それは節目のような転機の出来事として、強く記憶に刻まれます。 嵐は自然のサイクルで起きるもの。 人間の力は自然の摂理には及ばない。 嵐のような突然の災害にあって、 かけがえのない命や収穫物や財産を失い、 その経験から危機管理、防災意識が洗練されていく。 喪失体験から得る精神力も培われるでしょう。 26度で贅沢を楽しみ安楽を享受するとき、邪魔にして押しやった黒い影が「嵐」になり再来します。 27度で影に押しやってきたものが外敵として反撃 してくる。そしてそのときはじめて、脅威をはねのける力が自らにあったことを知り、大事なものをまもるために主体的に戦うことを学ぶのです。学ぶというよ りも思い出す。危機により引き出された潜在力を、効果的に使いこなすことを練習して身に付け自分のものにする。雨降って地固まるというよな感じかも。

2015/07/18 かに座26度 「豪華さに満足と幸せを感じ、長机の上で読書する人々」

かに座26度 「豪華さに満足と幸せを感じ、長机の上で読書する人々」  Contentment and happiness in luxury, people reading on davenports. 25度の右肩越しに投げられた影は、蟹座的「ファミリー」に、 謎めいた見えない力で干渉し、影響力を発揮しました。 影はあたらしい要素をもちこむ異分子であ り、 共同体を救うための救世主でもあり、 カルマとダルマを撚り合わせ、統合に向かわせるもの。 運命を受け入れて従っていくことと、 自ら積極的に未来に向かう力を同時働かせる見えない力。 それにより「ファミリー」の結束を固め、より強固に進化させる。 26度になると、そろそろ次なるサインが視界をかすめ出す。 進化した「ファミリー」の土台の上に、しし座特有の華やかさが加わり、 それをわかちあい、楽しみ、味わう、そんなひととき。 ゆとりある贅沢な時間、セレブな交流、 蟹座の中のしし座には、まだ、あ!っとおどろくような独創性はなく、 蟹座的な安心感の漂う馴染みある老舗のブランド品などにひかれる感じです。

2015/07/17 かに座25度 「右肩越しに突然投げられた黒い影または外套」

かに座25度 「右肩越しに突然投げられた黒い影または外套」  A dark shadow or mantle thrown suddenly over the right shoulder. 光と影、白と黒 のコントラスト。 突然に投げかけられるマントにハッとして注視する。 黒い影というのは、光の中にあって目立つもの。 そもそも光は、闇がないと、輝きようがないわけです。 謎めいて理解し難い神秘の影、シャドーの黒と、 公明正大であるがままにすべてを明らかに! と、人々の目の前に、すべてを白昼に暴く裁きの剣のような光。 光が明るければ明るいほど、影がさした時にくっきりと明暗がわかれる。 光も影どちらか一方だけしか存在しないという世界がもしあれば、  れは何もない世界なのではないか、そんな世界は存続しえません。 希望のメタファー闇の中の一条の光、 真夏の昼間の太陽の下の木陰の癒やし、 光と影はバラ ンスがどう保たれているかが、問題になる。 バランスがとれすぎ、安定しすぎても世界は閉塞していく・・ 停滞した共同体の中に異物を投げ入れ、バランスを破り活性化させるシャドーの登場です。 黒い影は理解しがたいミステリアスな魅力として、 同じ理想同じ価値観の集まりである閉鎖的な蟹座の集団に、新しい風を持ち込むでしょう。 あるいは反対に、目を背 けたくなる内部の腐敗を暴露させる、かも? 外部から内部に向かって謎を投げかけ、人のこころをかき乱し、想像力をかき立てる。 強い力が中身をかき混ぜ、活性化させる。 トラブルメイカー、トリックスター、救世主、異分子、異邦人。

2015/07/16かに座24度 「南に向いた太陽に照らされたところにいる女と二人の男」

かに座24度 「南に向いた太陽に照らされたところにいる女と二人の男」  A woman and two men on a bit of sunlit land facing south. 同じ理想、同じ考え、そんな絆で結ばれたファミリーは、 南のあたたかい太陽のもと、自然に恵まれた村でのんびりと、 しかし活動的に希望にむかって生活を築く。 理想追求への行動力と愛情関係のバランス。 文学会で出会った男女3人は少数の仲間、 家族のような、ファミリー的な関係性。 男は積極的な行動力を担い前に飛び出す力を、 女は情緒的な感情の豊かさと受 容力、そして癒やしを象徴している。 頭でっかち揚げ足取りの批評家揃いの文学界に、 わずらわしさとむなしさを感じ、志をおなじくした少数の仲間があつまって、 自分たちで自分たちの芸術村をつくろうと少数で行動を起こす。 批評するだけではだめなんだ、理想 の追求のためには行動を! と、理想主義の純粋な少数派が、ひそかに交流を深めてゆく。 最初はひとり、そしてふたり、 理解者が3人になったときから「活動」は展開し弾みをつける。 活動宮の言い出しっぺのはじめ 愛情深さ、純粋さゆえに仲間には過干渉気味で、 部外者には排他的になる傾向がでてくることもありそう。 24度は少々やり過ぎ感がただよう度数。 やりすぎひろげすぎ、そうなるのは限界を超えるための 必要なプロセスといえる。

2015/07/15 かに座23度「文学会の集まり」

かに座23度「文学会の集まり」  Meeting of a literary society. 「文学者」は文学者だというだけで仲間です。 遠い所たとえば海の向こうの戦争から、 日々の暮ら しの些末事まで、鋭い洞察力と遊びの精神を忘れない。 文学者仲間が互いの作品を、それぞれの視点から批評し合って、 切磋琢磨し教養を高め合っていく様子。 文学者って、表現衝動を持った人、 小説やシナリオを書く物書き や、詩人、歌人、 書くことやしゃべること、描くこと、を運命づけられたひとたちは、 たがいに認め合って引き合って集まってゆく。 集まって、互いを知ることで、互いの視点で語り合い、 互いの表現力を磨いてゆく。 的確な批判力を持ってそれを言葉で表現していく力をつける。

2015/07/14  かに座22度 「ヨットを待つ女」

かに座22度 「ヨットを待つ女」  A woman awaiting a sailboat. あこがれを抱き続ける純粋さ、それは、こころの若さ。 やわらかい感受性のみずみずしさを持ち続けるメンタリティ。 それは、受け入れ力の女性性のパワフルさ。 外界の環境に心を開き、期待をこめて未来を夢見る。 静かに自分の心と向き合って意識を広げる。 無意識の扉に向かい心を開く。 帆を広げたヨットに推進力を与える、 その風が吹くのを待っている。 風が運んでくるのはどんなすばらしいヨットだろうか? ヨットはどんなすてきな人を乗せてるだろうか? そのひとはどんな贈り物を携えているだろう? 想像のなかで 夢を膨らませて待っている。 待っているだけでは何も始まりませんが、 すべてはイメージから始まります。 理想に向かい、夢みる力。 憧れがひとに与える推進力が、 抽象的なあこがれを現実に具現化させる。

2015/07/13 かに座21度 「歌っている主役女性歌手」

かに座21度 「歌っている主役女性歌手」  A primadonna singing. 努力して念願の主役を掴みとったプリマドンナ。 ですが、オペラは主役だけでは成り立たたないことを、 良く知ることになるのでした。 誰にも負けない主役とし ての自分を押し出したい欲求と、 きもちをひとつにしてともに一つの舞台を成功させるという、 ふたつのテーマをバランスさせてる。 主役の歌がみんなを巻き込む軸となり求心力となって、 人々をまとめて牽引するいくパワー。 しかし、プリマのその力はある種の強引さ、 とはいえ、それくらい自分自身を押し出す厚かましさも、 主役には必要不可欠な要素だともいえそうです。 そして、それもひとつの立派な才 能かもしれません。 21度はサインのピーク。 やり過ぎ感と濃さが見られますが、かに座21度は水サインの特性をから、 人々を共感で巻き込んで影響力を広げます。

2015/07/12 かに座20度 「セレナーデを歌うゴンドラ乗り」

かに座20度 「セレナーデを歌うゴンドラ乗り」  Gondoliers in a serenade. ゴンドラ乗りは自分の歌声が自慢のたね。 だから毎日ゴンドラを漕ぐ水の上でセレナーデを歌っている。 おなじ水辺で仕事をするひとにとって、 ゴンドラ乗 りの歌声は日常のひとこまで、潤滑油のようなもの。 ああ、ゴンドラ乗りは今日も元気だな! 俺もがんばろう! あれ、どうしたんだろう、ゴンドラ乗りは、 今日の声は元気がないじゃないか?歌でつながる気持の絆。 それは、ゴンドラ乗りの肉声が風に乗り届く範囲に生まれる物語。 そして、水辺をたまたま通りかかったひ たちの気持もなごませる。 自分の声がひとを元気づけるということが、ゴンドラ乗りを満足させる。 さやかな日常のしあわせと、身近なひとのしあわせを願う愛情と思いやり、 日々の暮らしのなかに自己実現がある。 それが、蟹座のゴンドラ乗りの度数です。

2015/07/11  かに座19度 「結婚の儀式を遂行する司祭」

かに座19度 「結婚の儀式を遂行する司祭」  A priest performing a marriage ceremony. 神とひとを仲介する司祭によって、男女があたらしい家族として認められる。 結婚とは陰と陽の統合、つまり人間の完成を意味します。 しかし、現実の結婚は始まりであり統合というゴールははるか先。 若い二人は司祭 の祝福を受け、あらたな家庭をこれから築いてゆくのです。 結婚を遂行する司祭は、若い二人に祝福とともに大人の責任を与えます。 そして、夫婦となる二人、参列する家族と仲間が神聖な誓いを分かちあう。 ここに揃った全員が、今日の神聖さを忘れないように、 儀式が執り行われるのです。 この儀式としての結婚は、人々の 絆を固くつなぎ、 つよく撚り合わせ、見えない手で明日へと希望をつなぐもの。 しかし、司祭自身は結婚をせず、自分の財産をもたず、 教会にいて祈りと儀式をとりおこない、 神の手となり足となり人々に祝福を与え導くのです。 神と人々の間に立って、おおきな役目を果たす司祭は、 小さな家族を持たないかわり、 神の名のものとに非常におおきな家族をもっているといえます。

2015/07/10 かに座18度 「ヒヨコのために土をほじくる雌鳥」

かに座18度 「ヒヨコのために土をほじくる雌鳥」  A hen scratching for her chicks. ひよこを立派に育てるため雌鳥は土をほじくる。 自らの羽に泥をかぶり爪が土で傷つくこともいとわない。 象徴的にみた子供は創造性であり、 自分の未来の可能性という、生きる希望をあらわします。 子供は自分が産んだ子供であることも、 自分の創作した作品という子供であることもあるわけです。 それは今ここにあり、しかしまだ姿を表していない、 そんな、自分自身の未来の可能性、 潜在するエネルギーをあらわしている。 子供も作品も、いつか自分の手を離れ、 ひとりあるきをはじめるものです。そ う、子供は明るい未来を目指してひとりで歩き出す。 子供が未来をめざすのか、未来の要請が子供という形をとるのか、 それはわたしにはわかりませんが、 わたしたちはだれでも等しく、 自分の子供を育てることで、 自分自身に栄養を与え、 自分自身を 育てているのだということは、よく知っています。

2015/07/09 かに座17度 「「知識と生命に成長する微生物」

かに座17度 「「知識と生命に成長する微生物」  The germ grows into knowledge and life. 知識の働きも生命の躍動も わたしたち人間にはっきりとした形を見せてくれない、 という点で、微生物にとても似ています。 一粒の小さな可愛いどんぐりの中に、 あのどっしりと聳える樫の木をつくる全てが備わっている。 どんな大きな樫の木も、小さなどんぐりの種から育ったことを、 だれでもが知っていま す。 どんぐりの種は純粋な可能性そのものであり、樫の木の元型です。  種はかならず育つとは限らない。 しかし育てば、枝葉をひろげ、 思いもよらな い形で発展を見せるかもしれません。 その可能性に思いを馳せて、種を見守り育てる見えないちからが働いている。 小さなものを大きく育てる見えない力。 どんなにすばらしく立派なものも、 そのものの始まりは微生物のように小さい種だった。 どうかどうか、すべてのひとが、 小さな種に宿る限りなくおおきな可能性を生かせるように、 無限の可能性から自分の種を選択し、見守り育てる力を発揮できますように。

2015/07/08 かに座16度 「手書きの巻物を目の前にし正方形の前にいる男」

かに座16度 「手書きの巻物を目の前にし広場の前にいる男」  A man before a square with a manuscript scroll before him. 心にあるイメージを具体的な形に落とす。 深遠な知恵、古代の巻物を前にして、 男はその上の曼荼羅を通して自分自身を見つめている。 四角い広場は現実の生活の場所。 見る目が別人のものならば、おなじものを見ていても、 おなじ色おなじ形に見えているとは限らない。 ひとつ としておなじ絵は存在しない。 目の前にあるものは、自分自身の心象風景だから、 内面は外面であり、外面は内面である。 目の前に見ている光景がわたし自身。 真のマンダラは内面にあのである。 マンダラはもともとサンスクリット語で、本質を得るという意味があるそうです。

2015/07/07 かに座15度  「食べ過ぎを楽しんだグループの人々」

かに座15度  「食べ過ぎを楽しんだグループの人々」  A group of people who have overeaten and enjoyed it. 宴のあとの満腹の満足感と倦怠感。 にぎやかな祭りのあとのさびしさ、 飽食の裏には飢餓感が隠されているものです。 のんびりとゆったりとマイペースですが、 なにかにつけやりすぎ感 過剰さがつきまといます。 快と楽を追求することにおいての貪欲さは正直さ。 精神的なものよりも、見えるものへの欲求を、 満たすことに積極的かもしれません。 13で内面の追求をし14でそれを極めて悟りを開き、 15で反対の方向に大きく振れます。 抑制から解放へ。

2015/07/06  かに座14度 「北東の大きな暗い空間に向いているとても年を取った男」

かに座14度 「北東の大きな暗い空間に向いているとても年を取った男」 A very old man facing a vast dark space to the northeast. 北東は陰から陽に転 ずるポイント。 その手前で陰極まった老いた男は立ち止まり考える。 本当の自分は何者か? 13度で自分の内面に潜行し、14度で深めて突き詰める。 本当の使命はなんなのか、 自分はなすべきことをなしてきたのか? 黙して深く考える悟りの老賢者は、 長く生き過ぎた自分の人生を振り返る。 年取った男に は、もうわくわくもドキドキも期待感もなく、 意外性に驚く感動もない、新しい発見は何もない、 そこあるのは不変の不変性の世界。  しかし、大きな視野で世界全体を眺めるとき、 発見に満ちた感動の世界は反転し、退屈で動きのない世界になる。 光が欠けている暗い場所にこそ光が際立つという、 この世のしくみがあるのです。

2015/07/05 かに座13度 「とても目立つ親指で少し曲げられたひとつの手」

かに座13度 「とても目立つ親指で少し曲げられたひとつの手」  One hand slightly flexed with a very prominent thumb. 指を曲げ握った拳は、頑固さと理性と自制、 石のような固い意志を思わせる。 表層的なことにまどわされない不器用さ、 独自の着眼点、審美眼で価値を見抜いて、 信念に 基づいて困難に耐えてやりとげる。 強い心でそのスタイルで行き通します。 不言実行 理解が得られないと偏屈な頑固者として軋轢もうむでしょうが、 自分が価値を感じこれだと思った大切なことを守り抜きます。 自分から積極的に表にでるわけではありませんが、 時代にうまく合った時には、 カリスマとして一目置かれることもありそうです。

2015/07/04  かに座12度 「メッセージを持った赤ん坊をあやす中国人の女」

かに座12度  「メッセージを持った赤ん坊をあやす中国人の女」 A Chinese woman nursing a baby with a message. 赤ん坊は未来に目を向け、前に進む力の可能性。 天から授かった赤ん坊は、 その存在そのものが天啓「メッセージ」なのかもしれません。 中国人の女は世間の常識に惑わされない、 祖先から受け継いだ智慧の目を持っているから。 周囲の誰もがその価値を認めなくても、 自分が見いだした価値あるものを信じ、 それを大切に守り育てていきます。 ひとが信念をもつのに、 他者の承認や証明はそもそも必要なのでしょうか? 女性は赤ん坊を世話し育てることで、 自分自身の信じる心を育て鍛えていくので す。 赤ん坊は幸運の象徴。 赤ん坊は未来の可能性をつれてくる。

2015/07/03 かに座11度 「しかめっ面をするピエロ」

 かに座11度 「しかめっ面をするピエロ」A clown making grimaces. ピエロはひとの癖を大げさにまねデフォルメ化し、 豊かな表情と独自の個性で人々を笑わせます。 道化は人々が同意するあたりまえの常識を疑い、 権威を引き ずり下ろし茶化して人々を笑わせる。 子供の素直さ純粋さで、大人の常識や建前を越境し、 真実をあらわにして、茶化して笑い飛ばす。 ひとを笑わせようとするときには、 自分が先に笑ってしまってはいけません。 ユーモアは、客観的な目線の観察力からうまれるもの。 そして、真似をすることではじまったものが、 いつか、自分らしさ、オリジナルの個性として認められる。

2015/07/02 かに座10度 「完全にカットされていない大きなダイヤモンド」

かに座10度 「完全にカットされていない大きなダイヤモンド」  A large diamond not completely cut. 繊細で、やさしく、壊れやすい少女の心の奥、 まだ手付かずの、ダイヤモンドの原石が眠っている。 月の魔法で眠っている。 まだカットされていない原石のダイヤモンドは、 いまはまだ原石であってダイヤモンドという宝石ではありません。 ただ可能性だけがある。ダイヤモンド未満。 原石がダイヤのきらめきを得るためには、 磨かれなければならない。 月の呪いの石の眠りから目を覚まして。 カットと研磨の段階は痛みもあり努力もともないますが、 いずれ完全に磨かれて、輝く結晶となり宝石店に並びます。 そして多くの人を魅了し影響を与える本当のダイヤモンドになるのです。 ただそれは、まだもう少しさきのおはなし・・・・・・。

2015/07/01 かに座9度 「水の中の魚へと手を伸ばす小さな裸の少女」

かに座9度 「水の中の魚へと手を伸ばす小さな裸の少女」  A tiny nude miss reaching in the water for a fish. 小さな女の子が水に向かって身を乗り出して、 魚に手を伸ばしている。少女は服を着ていない・・。 自分をなくし、ただ相手を想う、未熟でむき出しの純粋なこころ。 魚のすみかに近づいて、冷たい水に手をひたす。 女の子は相手の気持ちになろうと願い、 その思いに突き動かされ冷たい水に手を伸ばす。 さて、魚に女の子の気持ちは通じたのでしょうか? 魚は陸では生きられず、少女も水の中で魚と暮らすことはできせん。 しかし女の子は冷たい水に手を伸ばす。 それは、かに座の好奇心、本能という無償の愛。 魚の気持ちを知りたいと精一杯な自分なりの努力をおしみません。