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2015/07/31 しし座8度 「ボルシシェビキプロパガンダを広める人」

しし座8度 「ボルシシェビキプロパガンダを広める人」  A Bolshevik propagandist. ボルシェヴィキは過激な左派思想、 プロパガンダは思想的な宣伝活動です。 信念にもとづいた思想的な過激さと、正義感の暴走、 他者への押し付けのちからの強さ。 常識とされていることであっても、 自分の信念に反することであれば徹底的に闘う姿勢を示します。 常識や伝統、既成概念に疑問を呈し、自分の正義をどこまでも貫く純粋さ。 それは時に、幼児の遊びの積木くずしのような、 創造と破壊の衝動の根源性を思わせる。   自分のおかれた現状に甘んじることができず変革を求めて行動する。 革命家。リスキーな極端さがともないます。 体制を壊して新しくユートピアを建設するんだ! と いう過激思想に似た激しい気負いと、子供っぽい極端さ。   純粋さと若さの情熱が障害を突破する力になる。      ****  ****  ****     みずがめ座8度 「美しい衣装を着た蝋人形」Beautifully gowned wax figures. 美しい衣装を着て、観られるために台の上に立つ人形は、   ある種の「モデル」であります。 アーキタイプを視覚化したもの。 蝋人形は見られるために作られ飾られる。 リアルな生の現実よりも架空のファンタジーのなかに真実を見出します。 自分がしっかり想像できる世界、 シュミレーションとリアルな世界=現実には、それほど大きな差はないと考える。 想像できることは実現可能であるというように。 人間の肉体や情感などといった、うつろう不完全性を排除して、 冷静に計算し、コンピュータで実験でも行うように、自分の理想を実践していこうと試みる。 人間関係もその一部としてゲームやシュミレーションに似た感覚で、 生の感情を感じさせない、ということもある。 そのため、「内面がわかりにくいひと」と、他者からの共感を得にくい面があります。 しかし、そのぶん他者に煩わされることがなく、自分の時間を自分のために使う、 やりたいことができる、というのは大変なメリットかもしれませ...

2015/07/29しし座7度 「空の星座」

しし座7度  「空の星座」 The constellations in the sky. Every man and every woman is a star 輝く夜の星座が象徴する普遍性に人生の基準を求める。 時代の変化によっても失われることのないなにか、 夜のくらい空にきらめく星々に、 古代の人々が神話と星と星をつなぎ星座を創作したように、 永遠不変のなにかを希求する。 世間の常識ローカルなルールに縛られないで 高い視点から物事を見るため 、 周囲からは浮いてしまい 、 浮世離れして映るでしょうが、それはそれ。   流行に左右されない安定感、ゆるぎなさ。 いまは理解されなくてもいいのだ、 いや、理解されないくらいがいいのだという、強い信念を持っている。 そんな年齢を持たない永遠の不良少年は、 いくつになっても魅力的です。

2015/07/28  しし座6度 「時代遅れの女と最先端の少女」

しし座6度  「時代遅れの女と最先端の少女」 An old-fashioned woman and an up-to-date girl. 自分の好みを押し出すあまり、 周囲とのギャップが広がっていたことに気がつき、 立ち止まり周囲とのズレを修正していく。 過去と未来行き来してふりかえり先を読み、 時代の流れに敏感に読み取る。 自分が一番輝いていた時代の過去で 時間をとめて そのなかで 生きている大人の女と、 今この瞬間を輝いて生きている少女が出会う。 このふたりの出会いが時代をかえてゆく。   新旧の最先端が情報を交換し、時代遅れを修正し、   リヴァイバイル取り入れて、デザインを洗練させる。   お互いが違いを認め合い、流行の移り変わりを知る。   ふたりはまるで互いが互いの鏡のよう。正反対だけどうりふたつ。 ふたりは互いの出会いによって相手を通して自分自身を知ることになる。         ↓間違えて、みずがめ座6度をUPしていました(汗)。 180度違う!とか言いますが、しし座とみずがめ座は180度関係・・・     みずがめ座6度 「ミステリー劇の演技者」A performer of a mystery play. 人生はドラマ、自分という謎を解くミステリードラマ。 主観的な個人という枠から解き放たれ、 ペルソナをシーンに合わせて付け替える。 シナリオを読み込んだ俳優がひととき役になり切るように、 その場所にふさわしい役割を読み取って演じます。 俳優はひとり、 シナリオと配役によって千の仮面を付け替える。 そして舞台を降りると、本来の自分を取り戻す。 みずがめ座が求められる役を演じるのは、観客の期待に応えるためではありません。 こころの自由、精神の跳躍、 自分の聖地、 を守るため。 一つの役割に没入しすぎて、いつしか自分自身を見失う・・・ それを一番の愚ととらえるのがみずがめ座の本質かもしれません。 mystery playは神話の再現。 そうすると、180度に位置するしし座の象意を思わせますが、 ここでは型にはまっ...

2015/07/27  しし座5度 「絶壁の端にある岩の塊」

しし座5度 「絶壁の端にある岩の塊」  Rock formations at the edge of precipice.   大きな夢を描きその実現のために行動し大きな壁にぶつかる。 ぶつかってはじめて、今まで見過ごしててきた自分の問題に気付き、 挫折から学び、賢さを身につける。 絶壁の縁にある岩は、道の終わりを意味している。 岩崖からの飛翔になるのか転落になるのか、 いずれにしても物事の終わりとあたらしい始まりを告げる。 道を塞ぐ障害だと思った岩の塊は、 旅人が絶壁から落下しないために立っている境界の番人。 岩の塊は砂や泥にまみれた現実という名の無骨なガーディアン。 大きな希望には絶望の可能性もついてまわります。 それが地上の理ですが、だからといって、 希望を自ら捨て去ってはいけません。 岩に潜む見えない力が指し示す、その方向に、 飛び出す時がきたら、その機を逃さないで捕まえるのです。 時間にも波にも侵食されない絶壁の姿は、普遍性という 4度の男の求めていた変わらない本当の価値あるもの。 ここではじめて、かに座から引きずっていた他者の影響を抜け、 本質的な価値を見つける。    

2015/07/26 しし座4度 「正装した男と角を刈られた鹿」

しし座4度  「正装した男と角を刈られた鹿」   A man formally dressed and a deerwith its horns folded. 本能的な力を無意識から目覚めさせ、行動化する。 横溢するエネルギーを正装で隠した男は、 無意識の本能的な力を意識化し、コントロールする。 そして、 その能力を現実的な行動に移していく、 能ある鷹は爪を隠す、そんなイメージ。 力の象徴である角を刈り取られた鹿の、 その角は鹿の正装した姿といえそうですし、 角を刈るのはある種、去勢、 角を刈ることで雄鹿の力をコントロール下に置く。 刈られても鹿の角はまた来年に生えてくるのですから。 角があるのは牡鹿だけで角は男性性の象徴です。 そして、角は生え変わる。 自分の強さを他者に見せつけるための角と、 正装は地位の高さ権威を示すための見栄えの良さを兼ね備える。 自分は特別だと口で言うだけの、 根拠の無い自慢屋で在ることをやめて、行動で結果を残す実力主義者。

2015/07/25 しし座3度 「髪型をボブにした女」

しし座3度  「髪型をボブにした女」  A woman having her hair bobbed. 髪を切るというのは自己主張、他者に向けての意思表示。 または決意表明。 そして、小さな意味では気分転換。 生涯青春!精神の若さの強調と個性の主張。 社会の規範でなく自己の内面を基準に生きる。  アンチエイジング度数。 変わらない内面の若さを外面にあらわしたいという願望。 時間とともに伸びてゆく髪は過去をあらわしているようです。 髪を切ることは過去への執着を捨て、 新陳代謝することににひとしいことです。 髪を切り、新旧を入れ替え る、刷新する。 ボブに切り揃えた髪を鏡に映し、若返った自分を確認している女。 しょっちゅう 髪型を変えてるおしゃれなひともいて、 流行を追うのもしし座にとっての自己表現。 洋服やヘアスタイルやメイクは「私はこういうひとです」 と言い切るいう宣言であるとともに、 他者にこう見られたいという理想の自分の姿でもある。 ですが、何かの反動でネガチブな表出をすると、 極端な若作りが 周囲に突飛な印象を与えることもあるかも。 しし座の3度は 自分らしさ、自分の個性を打ち出すことが板についてきます。 ちょっと発展した若作り系も入ってきそう。 サビアンシンボルの生まれた1925年当時、ボブヘアは流行の最先端。 こちらの麗子像は、サビアンシンボルよりもうちょっとだけ古いですかね。 おかっぱって、ちょっと見てみて、額縁みたいじゃないですか? 顔を縁取る額縁です。どうだ、この顔(画)!っていう見せびらかし。 どうだ、うちの麗子は!って、いう、  

2015/07/24 しし座2度 「おたふく風邪の伝染」

しし座2度  「おたふく風邪の伝染」 An epidemic of mumps. 影響力と伝播力。 熱にうかされ全身がふるえるような何かとの出会い。   なにか大きな変化ががはじまるときの予感に身震いをする。   それはまるで熱に浮かされたように、 見えないウィルスが伝染していくかのように。 衝動は コントロール不能、 コントロールできずに走りだす。   その力は自分を離れ駆けまわる 。 隠すことのできない自分の気持ちの高揚が、 周囲に伝播して人々を巻き込んでゆく、   やり過ぎ感、伝染力、集団感染、 学校閉鎖、臨時休業で日常が滞り、 普段は無意識に隠されている願望が覚醒する。 一般にもおたふくかぜは子供の病気として知られています。 一度かかると抗体ができ二度かかることはない病気。 おたふくかぜは幼児期に済ませておくほうが軽くすむ。 子供の病気と子供の遊びは子供のときにやり損なって、 大人になってやり直し・・・となったときには、ちょっとタイヘンかもしれません。 それはなんとも示唆に富んだ話ではありませんか。