かに座3度
「毛深い鹿を先導する毛皮に包まれた男」
A man bundled up in fur leading a shaggy deer.
不慣れな道で迷ったら、直感に従う。
みずからの内の野生に問いかけ、
場の空気を読み取って流れに従う。
迷ったときは小さな自分の思考で策を弄さずに、
起きてくる自然の流れに任せて乗ってみる。
自分自身 の素直な感情したがうことで、
正しい方向に導かれていくということがあります。
自分を今日まで育み支えてきたバックグラウンド、
母なる生命のルーツの導き、その密かなささやきに、
耳をすませてみよう。
その小さき声は、本能そのもの。
そして本能に至る道は感情にあります。
毛深い=野生=本能的
鹿は人間の社会の規範で生きるものではないので、
精霊のような存在(毛深いし)を象徴しているのかも。
仏教では出家者は頭を丸めるといって、髪の毛を剃り落としますが、
神道では自然体のボサボサ頭のイメージがあります。
仏は自我を落とすたえめに丸めるし、伸びる髪は業であるとか、
神道では、神は髪、髪は霊性のアンテナとして働く・・・
そんな話は聞いたことがありますが、本当はどうなのか?
ご存知のかたがいらしたらご教授いただきたいと思います(=゚ω゚)ノ
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