うお座19度
「弟子を指導する巨匠」 A master instructing his pupil.
巨匠は自分が歩いてきた道を見せることで弟子を指導する。
体験を言葉で伝えるには限界があることを、
自分の体験から知り尽くしているからなのかもしれません。
そして、そのことこそが、巨匠が巨匠たるゆえんであり、
カリスマ的な指導力のリソースなのです。
カリスマはそこに存在しているだけで人々に貢献しています。
巨匠がその場所に存在することが教えであり、
他者を介在せずに、そのままの巨匠の姿を1ミリも変えることなく、
伝えることが教えなのです。
ある世界を深めてしまったひとは、
そこにあとからやってくる者たちを、
正しく導くという役目を背負うことになります。
誰に強制されるわけではなく、そのことは自然のなりゆき、
宇宙的な法則として、なるべくしてそうなってゆくのです。
教えることは教えられること。
師が弟子を選ぶのか、弟子が師を選ぶのか?
それはどちらであっても同じこと、
弟子と師は互いが互いの鏡であるのかもしれません。
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