さそり座11度
「救助される溺れた男」A drowning man rescued.
このシンボルには「溺れる男」と「溺れるための水」と「救助する者」が登場します。溺れるには水の中に飛び込む必要があり、助ける側も水に飛び込むことで危険を共有することになります。二人の人間が水の中に飛び込むわけですが、これは勇気ある行動でしょうか?それとも無思慮な衝動的行動なのでしょうか。
飛び込まれる水は情感であり無意識に人と人を結びつける際の愛情という接着剤です。
そもそも最初の男は、溺れずにスイスイ泳ぎ切るという計画が途中で失敗したのか?それは計画的にか、なりゆきか?
そして、男は人との関係を結ぶために自分を危機的状況に追い込むという、究極の賭けに出たわけですが。その呼びかけに応えた救助者がいた。助ける者がいて助けられる者がつくられるのか、どちらが先か?甘えたい者と甘えられたい者は結ばれる運命にある。助けたり助けられたりという関係は、概ね依存へとつながりますが、それは間違いなく深い絆があるということです。
ただし、この賭けはリスクも大きく、いつも成功するとは限りません。
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