さそり座10度
「親睦夕食会」 A fellowship supper.
互いに認め合った仲間が協力し合い成長していく姿があります。
同じテーブルにつき、同じ食事を分かち合い信頼を深める仲間たち。昔から、一つ釜の飯と言ったり、同じ釜の飯を食うという言い回しがあります。食べることは生命の維持に深くかかわることで、ひとつのテーブルで食べ物を分け合うことは、命をわけあうことを象徴しています。
人との関係を築く上で失敗し、傷ついた経験をふまえて、心から共感できる少数の仲間と、信頼で結ばれた関係がつくられはじめます。努力し壁を突破した体験を互いに分かち合い、相手から学び高め合う、そのためには自分自身が強い意志を持ち自立していないとなりません。
真実の友情、真実の共感は互いに自立し尊重し合うところに生まれます。
ひととひとが出会い、向かい合い、見つめ合う関係から、お互いが前を向きともに歩む関係へと、人間は進んでいくことを定められているのかもしれません。
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井伏鱒二のこの詩を受けて書いた寺山修司の詩があります。
どうぞあじわってみてください。
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(井伏鱒二)
「幸福が遠過ぎたら」
さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなる地の果てに咲いている 野の百合は何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家はなんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません
(寺山修二)
人生の花を愛で、盃の水を飲みほして、花も嵐も味わいつくしてみたいものです。
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