てんびん座29度
「互いの知識の範囲に橋をかける方法を模索する人類 」
Humanity seeking to bridge the span of knowledge.
個人個人の差異への関心から、
共通点への関心へと、興味の対象が変わります。
個々の対人関係への興味から進んでいくと、
個を支え土台となっている文化や文明といった、集団性に意識が向かう。
普遍的な知恵や時代性、哲学や伝承などに関心を持ち、
「個」を超越する大きなくくりで物事を考えるようになっていきます。
人類の根底的な共通性、普遍性に意識が向かうため、
情緒的なやわらかさ、繊細さ、みずみずしい感受性といった
個人性に根ざす感情からは自然と距離を取ることになります。
「地球上に生息する人類は」というときと、
「わたしたちひとりひとりの個性ある人間は」というときでは、
受け取る印象が大きく変わっています。
「人類」と 科学者が言う時には、
個々の違い、
多様で豊かな個性など、
もとから存在しなかったかのように隠されてしまう。
そのことに感情的な抵抗をいだく ひともいるでしょう。
でもそれは単なる視点の違いなのです。
もしも人類の互いの知識の範囲に架けられる橋があったなら、
その橋の向こうには必ず真理があらわれる。
そして、人間がその橋に至るには
「感情」という道を通っていくしか方法はないのです。
「互いの知識の範囲に橋をかける方法を模索する人類 」
Humanity seeking to bridge the span of knowledge.
個人個人の差異への関心から、
共通点への関心へと、興味の対象が変わります。
個々の対人関係への興味から進んでいくと、
個を支え土台となっている文化や文明といった、集団性に意識が向かう。
普遍的な知恵や時代性、哲学や伝承などに関心を持ち、
「個」を超越する大きなくくりで物事を考えるようになっていきます。
人類の根底的な共通性、普遍性に意識が向かうため、
情緒的なやわらかさ、繊細さ、みずみずしい感受性といった
個人性に根ざす感情からは自然と距離を取ることになります。
「地球上に生息する人類は」というときと、
「わたしたちひとりひとりの個性ある人間は」というときでは、
受け取る印象が大きく変わっています。
「人類」と 科学者が言う時には、
個々の違い、
多様で豊かな個性など、
もとから存在しなかったかのように隠されてしまう。
そのことに感情的な抵抗をいだく ひともいるでしょう。
でもそれは単なる視点の違いなのです。
もしも人類の互いの知識の範囲に架けられる橋があったなら、
その橋の向こうには必ず真理があらわれる。
そして、人間がその橋に至るには
「感情」という道を通っていくしか方法はないのです。
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